球技において「超人のフルスイング」というものは観る者を魅了してやまない。もちろん、他にも重要な技術戦術は山とあるが、こと見ていてスカッとするという点において、すべてをなぎ払う問答無用のひと振りに勝るものはない。野球ならそれこそ和製にして本場を凌ぐスーパーマンとなった大谷、卓球ならきょうびの日本トップクラスでは戸上隼輔の光速ブンブン丸ぶり(と、それを可能にするマシラの如き体捌き)、胸がすく思いがする。あ、今ウィンブルドンをやっているが、2m近いビッグサーバーのノータッチエースばかりは昔から見ていてモヤモヤするのはなぜだろう。いや、野球やテニスのことなんて私はろくに知らないから、やはり話は卓球に絞るべきか。
私の小・中学生時分、卓球の教則本を読めば、シェークハンドのお手本役として連続写真で登場するのはほぼ、1967年の世界選手権王者、惜しくも今はなき長谷川信彦さんおひとりのみだった。一本差しという少数派のグリップスタイルゆえスイングもやや独特ではあったが、全身を使ったフルスイングから繰り出されるパワードライブと、ポパイと渾名されたという筋肉ムキムキの右腕に激しく憧れたものだ。
その刷り込みのおかげで、四十路に入ってからの卓球再開後にドライブの正しい打ち方とそのための用具を初めて知った(連続写真ではフォーム修得に限界があったし、ラバーの厚みとドライブの球威の相関性さえ知らなかった。今は動画で何でも見て学べる。とんでもない時代だ)私は、年甲斐なくフルスイングドライブに固執し、その威力を高めるために重たい特厚ラバーとラケットを使っては腰や肩を痛めるの愚を繰り返しており、なんなら今も、3週間以上前のぎっくり腰が治りかけては(卓球をして)ぶり返すの愚境にいる。ぎっくりでも竹は吹ける、どころか余計な力が抜ける、否、力を入れることができないために、新たな発見にまみえることもあるというのがせめてもの怪我の功名だろうか。
何の話だったっけ。そう、フルスイングで魅せるという。
尺八に振りかぶるようなフルスイングはないが、少なくとも琴古流においては、アタリと押し送りというフィンガリング、すなわち小さく鋭い指のスイングをもって音の立ち上がり・区切れを強調する技法が不可欠、というか、それこそが流のアイデンティティだ。私見。そのスイングの振幅はせいぜい1~2cm程度(リツレなど開孔状態から始めるアタリを除く)、中空から振り下ろすのではなく、孔を閉じている指を「開けて閉じる」アクションであるから、指のスイングスピードもさほど稼げない。そういう、大きくも速くも振れない指でベストの振幅とスピードによるスイングを行うのがアタリと押し送りだ。
音に必要十分のアクセントをつけ、しかも装飾される音は綺麗に、任意のボリュームで立ち上げられる、そういうアタリ・押し送りが一曲、たとえば六段の調のうちに何百回あるのか数えたこともないが、基本的にすべてにおいてミスや不完全さは許されない。一曲通してノーミスなら、もしかしたらそれは尺八における一回のフルスイングの達成と呼べるのかもしれない。ま、一曲ノーミスが可能なら、その人のアタリと押し送りはもう九分九厘パーフェクトだとは思うけど。
以前に述べた、運指まわりを中心に軽いレクチャーをしている知人氏が、左手薬指の操作に苦心しているのを微笑ましく見やりつつ、みんなここからスタートして、いつのまにかオートマチックで意識せずとも指が動くような仕儀になっていくのだなあと。ただ、オートマはラクだが危険だ。何かが間違っていた場合、同じ間違いをひたすら身体に刻み込んでいく恐怖の装置になり得るから。当然ながら、この装置は初学に近い段階であるほど頻繁に発動しようとする。よって、誰にも習わずに何かを始めるというのは壮大な遠回りとほぼイコールであるわけだ。尺八の場合は、卓球と違ってレッスン動画も少なく、また、勝った者が強い=強者のメソッドが道になるスポーツとは世界やカチカンが異なるのでなおのこと。
K-5Ⅱs
さて、お次の出番は延期から復活の八重衣。
八竹会・尺八勉強会
7月23日(金・祝)
13:30開演/入場無料
私が参加するのはチラシ下半分の京都会場のプログラムです。
三絃・金川貴博さん、箏・岩崎千恵子さんと八重衣を吹奏します。
学生時代から暗譜はしているこの曲、しかし最近は人前で吹く機会がないからか、脳内で唱譜できているのに「あれ、指…?」と分からなくなるアクシデントが毎回1個所程度、瞬間的に発生するように。本番までに虫喰い修復を誓います。
7月19日(月)11:20~、NHK-FM「邦楽のひととき」での一二三鉢返調(と「風」)の放送もだんだんと近づいてきました。ご高聴、よろしくお願いいたします。