こんなものを買った。
LX100
私が普段からゴチャゴチャ書いていることからすれば使い途は知れるだろう。いい加減なゴム判なら500円くらいであるだろうと探してみたら、文字サイズが選べるようなものは有名メーカー製ほぼ一択でソコソコ高かった。この値段なら、あいうえおをタテに並べて抜き差ししやすいケースくらいつけてくれてもよ(ブツブツ)。本当は拗音とカナも揃えたいのだが…。ま、ひとまずこれだけで始めてみるか。
さて、三曲若葉会演奏会を満喫した翌日の節分、私は田中忠輔さんの工房を訪ねていた。今や忠輔さんの製管の流儀をすべて受け入れているつもりの私だが、それにしても唇とエッジが遠くて息の消費量が大きすぎるなと思う楽器があり、「これ、なんとかならんもんでしょうか」と泣きついていたのだ。「うーん、そう? 遠いかねェ。まあ顎当たりを削れば近くはなるけど…」とさっそく作業に入ろうとする忠輔さんを「おっ、思うとおりにイジってくれそうだ」と見やる私。この竹がえげつないポテンシャルを秘めていることは分かっているが、現状は息が要りすぎる。竹をイジるのが悪手であることは承知ながら、内径や手孔に手をつけるわけでなし、製作者自身がさわってくれるなら悪いことにはなるまいと、そう考えていた。
そのとき、いつも工房の壁に掛かっている、どこかのお寺での献笛の風景を撮った写真が「なぜか」目に留まった。竹吹きが数十人、向かい合って2列に並び、曲を吹くの図。撮影者は列の間からカメラを覗いていて、つまり写真上は奥へ八の字に続いていく奏者を横から見ている構図だ。その奏者のおひとりの構えが面白かった。尺八をほぼ鉛直に保持して、それを「迎えにいく」ように顔を前に出し、されど顎当たりはさほど竹の角度にアジャストさせていないようだから、パッと見は「ものすごいカリ吹き」。もうこちらに背を向けて、たぶんヤスリでも準備していただろう忠輔さんに「この人、すんごい角度で吹いてますね」と指し示すと、「あー、まあね、その吹き方でもまっすぐ吹けば斜め45°になるからね」と、そんな言葉が聞こえた。
「あー、その人はいくらなんでもカリすぎだよね」という返事を予想していたのにアテが外れた。うえに忠輔さんは、意味が分からないことを言うもんだ。斜め45°ってなんだ?
製管師にしか分からない「個人の感想です」レベルの話なのだろうと、「あー、ねえ…」と茶を濁しそうになって、いや、なんか気になるな。「えっと、その45°ってなんですか」と忠輔さんに訊いた。そこからエライコトが起きた。喩えるなら「樹影譚」の最後のページでもたらされるあの、ザーッと血の気の引く音が聞こえるような大転換。ひとことで言うなら、歌口もまた孔である、という当たり前の道理にようやく気づかされたというだけのエライコト。
そのエライコトの結果、私は危うく有害無益な改造を加えるところだった楽器を大慌てで引っ込め、アンブシュアをイチから構築し直す仕儀とはなった。「今や忠輔さんの製管の流儀をすべて受け入れている」とは笑わせる。危なかった。やはり楽器はイジってはいけない。もう死ぬまで一切イジらない(割れたら直すが)。そして、35年固着させてきたアンブシュアが簡単に修正できるわけなど、もちろんない。さて何年かかるか、などと悠長なことは言っていられない年の頃。半年でなんとかしよう。なに、ひとが聴けば何が違うか分からない程度の違いだ。私にとっては今さらの節分革命だが。SAME SAME, but DIFFERENT。
帰洛後、前稿で書いたとおり長引く咳風邪をひいて、医者に行かずとも治るだろうとナメている間におそらく気管支炎と副鼻腔炎まで進行させてしまい、今になってようやく原状が見えたところ。せっかくの革命をひと月にわたって塩漬けにしてしまったのだ。急がねば。今年は課題曲に急かされずのんびりやるぞと決めていたはずが、「阿呆か。のんびりしてたらすぐお迎えじゃ」と竹に尻を叩かれる、ぬるく湿ったヤヨイノヨイ。
恐ろしいのは、「45°ってなんですか」と尋ねなかった場合の平行世界。僥倖だのみの我が竹道を嘆けば、師匠は「動いていればこそ」と慰めてくださる。他力本願であってもどうにか花深き処に辿り着き、恩を受けたみなさまに手を振ることができたなら、なんぞ思い残すことのあろうか。