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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

風邪とわたくし

えっ、2月? 師走以来、私は何をしていたんだっけ。書きながら思いだしてみよう。

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12月8日
邦千会九州系地歌勉強会 ~阿部幸夫師をゲストに迎えて~

全11曲、壮大な「ぶっつけ演奏による公開勉強会」。主催者でもない私ながら、まだ慣れぬ動画撮影(全曲)、人名を間違えてはならない開演前の芸筋解説口上(筋とは関係ないある方のお名前の読みを間違えた!)、主に竹方のみなさまが会を楽しめているかどうかの横目チラチラなどで、オノレの曲、夜々の星・ままの川・八重衣に集中できていたとは言いがたい。毛氈の上に座って初めて「さてこの曲か」と。掛け値なしにぶっつけの私であった。

にもかかわらず閉会後、なんとのう半分夢を見ていたような、「あんな会が本当に開けてしまったのか」という畏れにも似た多幸感を味わえたのは、あの日初めて顔を合わせた岩崎千恵子先生と阿部幸夫先生、そして、きっと入念なシミュレーションを重ねて臨んでくださったろう岩崎門下のご高弟や竹方によるぶっつけアンサンブルが予想どおり、否! 予想を大きく超えてうまくいき、打ち上げではみなさん異口同音に「楽しかった」「幸せだった」と述べてくださったほど音楽的に充実した会となったことによる。そうそう、トリの八重衣を終え、岩崎先生が閉会挨拶を述べていると、聴きに来てくださったI先生が感に堪えずの声で「最高の会でした!」と何度も。舞台に残っていた私もじんわりさせていただいたのだ。いや、本当に楽しかった。

そして、初めて使わせていただいた冬青庵能舞台の響きも素晴らしかった。白洲のない簡易な造りであり、また空間のタテヨコも例えば河村能舞台に比べれば小さいから響きの量自体は控えめだが、その響き方の趣味はとても心地よく、少なくとも三曲合奏ならベストに近いものだったかもしれない。控えが袖奥と、袖から直接アクセスできない2階とに分かれる構造から、絃方中心で楽器入れ替えの激しい大人数の会はキツいだろうが、例えば本曲半分・地歌半分といった竹方の個人演奏会ならうってつけと言えるだろう。いつかここを目指す会を持ちたい。

演奏動画はこちらの邦千会チャンネルから。むう、あの滋味深い響きが再現されない。録り方が悪いのか。

ところで、この日チクチクしていた喉からしだいに風邪をひき、しばらくゲホゲホやって治ったのだが、そこから謎の風邪大連チャンが始まってしまう。

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12月21日
フィリップ・フラヴィン 第11回地歌演奏会

先の風邪が治ってほどなく、なんだかまた喉が痛み出し、あれっ、熱っぽくない? となったのが会の前夜。「頼む治ってくれ!」と念じながら休んで起きた当日の朝。検温。終わった…。

フラフラと会場へ向かい、共演のみなさまにご迷惑をかけてはならじと控え室には入らず広間でぐったり時を待ち、おそるおそるリハーサル。おや、息こそさすがに少し短いが、音はそれなりに出る。コロナ明けすぐで舞台に上ったアノ経験を経て、私も少しはタフになったか。結局、本番のスリリングすぎる絃の展開に足をとられてミスはしたものの、どうやら咳き込むこともなく吹き終えて…そのあとどうやって帰ったのかよく覚えていない。ともかくも、かくも不良なる体調で本番を迎えてしまったのは初めてのことだった。健康管理の怠慢を恥じる。

とまれ名所土産、まだまだ譜を追う竹で、肌に馴染むまでは遠い。フィリップさんが「三絃だけでやってても今ひとつ良さが分からなかったけど、箏と合わせるとこんなに面白い曲なんだね」と感じ入る横で、内心「私はまだそこまでイケてないなあ…」と独りごちるのであった。

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12月22日
おさらい会

依頼をいただいてのおさらい会助演。クローズドの会であったし詳細は伏せる。峠は越えたものの、この日も体調はチョベリバ。黒髪・尾上の松・玉川・残月・七小町・けしの花・夕顔。おいおい、我ながら半病人がよく吹いたな。舞台の照明がやや暗めで譜面が見づらく、目の老いを実感する機会ともなった。学生時代に手をつけていなかった曲とはいえ、けしの花、難しい!

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12月29日
島田塾納会

宇治巡りと、ままの川か楫枕もしくはその両方を吹いたはずだが…もはや記憶があやふや。風邪もどうやら抜けて、島田洋子先生社中のみなさまとアットホームな合奏を楽しみ、お稽古場近くの料理も旨いうどん屋さんで熱燗ちびちび打ち上がり、これにてお外では吹き納め。

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1月12日
山田流箏曲演奏会

お外での吹き初め。石山源氏(下)というお初の(そもそも石山源氏(上)をまだ知らない)、そして重い曲をこわごわと。二谷藤美賀先生のお導きでなんとか終曲まで吹きおおせたが、これも薬籠に入れるには遙かに遠く、少しでも油断すれば山田の緩急のエジキ。たたらを踏む仕儀とはなる。

それにしても、東京時代には山田流との手合わせの機会などほぼゼロであったのが、京都で活動らしきものを始めてから年数回は勉強の機会をいただけている。7年ほど前、今や沖縄へ移住してしまった杉沼左千雄さんが招じ入れてくれたのは、京都の斯界にあっても私にとってとびきりのにじり口であったのだなあと改めて。今年も、前半であと2曲は学ばせていただける。精進。

この会でも(ご担当の体調不良により急遽)全曲の動画撮影を受け持った。音質を重視して可能な限り舞台に近い場所から撮るか(=カメラを高く構えられないので背の高いお客が舞台を隠すことも)、邪魔にならない後方から見おろして撮るか(=ざわめきノイズが確実に増える)、悩ましいなと。あと、やることはだいたい決まっている編集作業、どうにかしてバッチ化できないもんだろうか。

そして、この会の頃には落ち着いていたが、新年早々、年末から数えれば三度目の風邪をひいていた。なんだなんだ、私のキラーT細胞は知らぬ間に絶滅したのか。

帰宅後すぐ、〆切が3日後に迫っていたアレを吹き込む。年始の風邪で、とても集中して録音に臨めるようなコンディションではなかったのだ。この日も体調はろくでもなかったが、本番直後はオノレの本意気の音がしばらくはキープされるという余勢を駆ってどうにかこうにか2回だけ吹き、ベターな方を西へ送ったのだった。さて、いらへの色や如何に。


LX100
撮ったのは1月だが、今ちょうど塗り直しているらしい。このヤレ具合もいいと思うんだが。

2月1日
第79回 三曲若葉会演奏会

こんな雲上の舞台に私が上れるわけもなく、ありがたくもご一家でご出演の阿部幸夫先生にチケットをいただいたので、勝手に盟友認定しているKくんを誘い、久しぶりの紀尾井小ホールまで聴きに行ったのだった。第1・2部通しで延べ4時間、そうそうたる実力者が次から次と生音を奏でれば当然、発見、思うところがザックザク。イヤハヤ、この日の聴衆の中で私ほど楽しんだ人間はいないだろうという程度に満喫した。ほとんどのことは生音を聴き、生プレイを見ないと分からない。アレはいいなあ、コレは誰にも負けない、オノレの座標も見えてきた。

阿部先生ご一家の七小町は、芸の勘所がしっかりと継がれ、かつ新たな若芽が大介さん・勇介さん各々の裡に大きく(しかも一様ではなく)育ちつつあることを確認でき、「〽昔は小町」の兄弟ユニゾンではちょっと目から汗をかいた。「芸は一代」はあくまで “よくあるアレ” を揶揄する言葉であって、ホンモノ同士の間でのみ出来する「芸は次代へ」では、「創造なき古典は存在し得ない」を地でいく発展が起きる。

さても、生きづらい東京を生きる東京人は、かかる値打ちの会を逃さず楽しめるメリットをも享受する。ノホホンと京都を生きる私は、たまに新幹線代を払っておのぼり鑑賞するくらいお安いご用だが、500km離れた東京からのアナウンスはなかなか聞こえてこないし身過ぎ世過ぎもあるしで、そうホイホイと、ともいかないのは悔しいところだ。

終演後は悪友Aと合流して3人、懐かしきしんみち通り(店は「太平山」ほか数軒を除きほぼ入れ替わってしまったが)へ繰り出し、イマイチな地鶏の焼鳥屋と好感の持てるオーセンティックバーでアーデモナイコーデモナイを終電まで楽しんで夜を閉じた。

この翌日、私にとってエライコトが起きるのだが、それは稿を改めて。ちなみに、この関東行きから戻ってほどなく、年末以来四度目の風邪をひき、それを発症から2週間経った今もゲホゲホ引きずっているという恐るべき体たらく。治って仕事が落ち着いたら、15年サボり続けている健康診断にいこう。いや、その前に一時的な禁煙禁酒か…。
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HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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