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    <title>いずこじ</title>
    <description>陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。</description>
    <link>https://izukoji.syoyu.net/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>雑記</title>
      <description>タバコ ハニー。&amp;ldquo;酸っぱい燻製バニラ&amp;rdquo; であるところのヴァニーユ アンティークから鋭角のクセを除いたような &amp;ldquo;饐えた燻製ハチミツ&amp;rdquo; 。どちらも素晴らしい香り、ではあれど、あくまでオノレに噴いたときの匂いとして、&amp;ldquo;いいだしが出る饐えたタバコ&amp;rdquo; であるボア シカーにはやや及ばぬか。それにしても、私はタバコ系が好きだなあ。白檀やその他の（沈香を除く）インセンス系も大好きだが、DNAを揺さぶるのはなぜかタバコだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卓球は練習試合を重ねてもさして強くはならない。必要なのは課題練習・多球練習だ。竹も同じ。張り詰めた公式試合においては、ごくたまにだが成長の好機が訪れる、もしくはその積み重ねが経験値としてストックされる、というのも同様。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黄瀬戸は茶に映えるが酒にはモヒトツ、と思いなしていたものだが、佳いのもあったとつい最近知る。こういう酒盃を、織部ではまだ見つけられていない。あの緑で酒は旨くなるのだろうか。ちなみに、うちの不動の四番は田淵太郎作の素焼き白磁。近年はどうやら作らなくなってしまったらしい平盃だ。安く手に入れたものだし棺桶に入れてほしいが、燃えないものはダメなんだっけ。じゃあ、焼かずに骨壺へ喉仏とともに。色も馴染むし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やっぱりLX100／Ⅱの空席を埋める、取材メモにうってつけの「素子が大きくレンズのいいズームコンデジ」があってほしい。現状、まともな値段の現行機種から私の用途で選ぶならキヤノンのPowerShot V1ほぼ一択で、スペックはとてもいい（動画撮影用途においても）のだが、私はキヤノンのJPEGの色が民生デジカメ草創期から今に至るまで好きになれないのだ。RAW？ 取材メモでそんなフォーマットを使うわけがない。というか、一眼でも私はJPEGでしか撮らないズボラだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国産米はいまだ混乱の余波に洗われ中。なのをいいことに、タイ米はぼったくりを続ける。向こうで買えば5kg1000円の米なのに。業者め。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大の里にあっては、一日も早く腱を繋ぐ手術を受け、リハビリに全精力を傾けてほしい。師匠はオノレの力士生命を大幅に短縮せしめたあの悲惨な筋断裂に何を学んだのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
カレーを手っ取り早く旨くしたいなら、油を当節のヘルシーなレシピの数倍使うことだ。おいしいものは脂肪と糖でできている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
桜を見て「きれいだねえ」などと言ってしまえば致命傷。団体で桜を見るのもほぼ負け。花の下で春「死にたい」と詠むくらいの意気を帯びなければ。そういえば、菊崎検校の西行桜はたしかに大のつく名曲だが、世阿弥による同名の謡曲から取られたという歌詞はリズム・言葉選びともイマイチだと思っている。かように（？）桜は難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000757.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1774803617/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いい香り、おいしい食べもの、旨い酒、美しい花、震えがくる音曲。最高度の快感を味わいたいから、いろんなもの・体験・やり方を試す。尤もなことだ。しかし、試すうちに試すこと自体やその回数の上乗せが目的化しがちで、我がこととしてこれがまずい。あれ、これ最高じゃない？と感じたら、明らかに優位の何かが現れるまでそこで立ち止まる、足踏みをする、慣れるまで検証しながら味わい続ける。でないと、自分が根っこのところで何を求めているのか分からないまま、下手をすると一生が終わってしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/jhRvoC8CmVQ&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四者のグルーヴが自然に（しかし緊張感をもって）同調した気持ちのいい演奏だったのだが、惜しくも箏・替手が少し落ちる場面があり、公開には難ありかと諦めかけていたところ、先生のほうから公開するようにとご指示をいただいた。私は私で歌が聴けていないところがあり、ミスももちろん多々あり、アクセスしやすい反省材料としても有難い。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/%E9%9B%91%E8%A8%98</link> 
    </item>
    <item>
      <title>現状認識</title>
      <description>自分でも半ば信じがたいのだが、私は今も、去年の自分より確かにマシな音だという手応えを感じながら日々を送れている。そうでなければ、ワカモノにまじってコンクールに何度も首を突っ込むなどやれたことではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000609.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773427343/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
留保めいた言葉は、せっかくの春だ、よしにして。1年半前に巡り合えた新たな世界一の竹は、ようやく手の裡におさまる気配が沈丁花の如くほんのりと。何年も、あるいは10年単位で先の話として、完全におさまってしまっては面白くもないどん詰まりだが、もうこれ以上の楽器は私の前に現れない＝持ち替える必要はないと信じたい。世界一に慣れるのは、楽しいけれど大変なのだ。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E8%AA%8D%E8%AD%98</link> 
    </item>
    <item>
      <title>出演のお知らせ</title>
      <description>やはりいいタイミングでの告知など私には無理だとよっく分かったので、現時点での確定スケジュールをば。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000777.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773129888/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;観桜祭 春のコンサート ピアノと共に&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;4月12日（日）14：00～16：00&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
会場：京都府庁 本館2階 正庁&lt;br /&gt;
入場料：2000円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/1000025172.png&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773130212/&quot; alt=&quot;&quot; height=&quot;150&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/1000025173.png&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773130211/&quot; alt=&quot;&quot; height=&quot;150&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/1000025174.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773131116/&quot; alt=&quot;&quot; height=&quot;150&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初めて参加させていただいたときはお子さんがたの演奏も多くアットホームであったこの演奏会、回を追うごとに奏者が絞られ、いつしか賞持ち演奏家だらけのサロンコンサートに。河宮は昨年同様に唯一の邦楽器奏者として、浮きまくりながら一二三鉢返調を吹奏します。ピアノを中心に、バイオリン、フルート、チェロ、コントラバス、バロックダンス（ナニソレ！）など多彩なプログラムが組まれております。ごく近々に予約満席が見込まれますので、チラシのQRコードからお早めのお申込みを。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;京都三曲協会 第36回定期演奏会&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;4月29日（水祝）11：00開演（開場10：30）&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;会場：京都府立文化芸術会館&lt;/div&gt;
入場料：2000円／小学生～大学生500円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/e30bd0cc.jpeg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773130252/&quot; alt=&quot;&quot; height=&quot;150&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河宮は、琴古流諸派の春江花月夜、島田洋子先生とご門下の軒の雫に参加します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;第38回 八竹会邦楽演奏会&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;＜京都＞&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;5月6日（水祝）12：00開演&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
会場：河村能舞台&lt;br /&gt;
入場無料&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;＜滋賀＞&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;5月17日（日）11：15開演&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
会場：大津市伝統芸能会館&lt;br /&gt;
入場無料&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/dc02ff6d.jpeg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1773130244/&quot; alt=&quot;&quot; height=&quot;150&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
河宮は5月6日の京都回にて宇治巡りに出演いたします。久々の河村能舞台！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/Vw62_Tcok4o&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三曲研究会にて。初挑戦の曲とて、完成度の低さは承知。機会があれば、ナルハヤにてこれを更新できるクオリティの演奏をものしたい。いやそれよりも、曲をつくる演奏とはどういうことか、という何周目かの自問に対する答えを探すほうが先か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日、京都三曲協会からの派遣で小学校公演＆邦楽器レッスンに加わった。春の海、八千代獅子など、この手の公演では定番のプログラムにあって、例の市松模様な人気アニメの主題歌を演奏したらば、イントロから体育座りの4年生ちゃんたちがドッと沸き、目の輝きが明らかに変わった。終曲、即喝采。あれほどウケたのは竹を手にして以来初めてのことであったけれど、ウーム、なんか悔しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ま、トリ曲のサプライズ校歌演奏もかなりウケたので、結論としては、よく知っている曲を演奏すればそりゃウケる、なのだが。それを上回るほどの説得力を備えた古典とセットで魅せたいもんだ。感想は「なんか分からんけどよかった、すごかった」ならば最高。よきトラウマを残したい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近、家でショートカクテルもどき（シェイクはしない）を作り始めた。ら、翌日に響くほど飲みすぎる夜がたちまち増えてキケンと判断。日本酒を飲む日はカクテルは飲まない、というジャンキーらしい自主ルールを設けた。コアントローが切れたらしばらく買わず、せいぜいジントニックくらいに抑えよう。ウィスキーに準ずる度数がありながら、ツマミもなしにクイクイ飲めるってのはいかにもマズい。サカテはざっとバーの10分の1。マズすぎる。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E6%BC%94%E5%A5%8F%E4%BC%9A%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/20260310</link> 
    </item>
    <item>
      <title>ひとりごとども</title>
      <description>西から、もう何度目かの佳き便り。今年もはるかイタダキを目指してやることはひとつ、オノレの尺八楽の底を上げるだけ。土壇場でゾーンに入ることなどほぼあり得ない。問われるのは上澄みより底の水位だ。&lt;br /&gt;

&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
週末にクローズドの会で根曳の松を生まれて初めて吹く。曲の難しさよりなにより、譜が長すぎて、まともに延べれば吹いている間に90&amp;deg;くらい扇を描く仕儀とはなる。対策はするが、こんなことなら学生の頃、松竹梅より先に覚えてしまえばよかった。そろそろ長体譜を検討しなければ。&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
ツ・ツﾒのアタリは、指先の球形部分を少し外した第1関節寄りでアタるとスポンと出やすい。あくまで現状、ヘタクソな私の経験則として。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アタリが最も利きづらい五孔。鉄棒の離れ技をやるくらいの思いきりで親指を高く上げて最大限の空隙をつくり、ブンと音がするくらい勢いよく振り下ろして孔を塞ぐほかに道はない。ためには、親指は五孔の下から、つまり管となるべく平行になるよう添えなければならない。管に対して親指が斜め・横方向であると、着地（？）で孔を塞ぎそこなう確率が跳ね上がるからだ。管を支持する必要がない左手（右手の人もいるだろうが）の構えは、ここを始点に固めていくべき。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000881.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1772043166/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東京のあるお人に預けていた竹がパックリ割れた。マンション上層階などではなく戸建ての、おそらく1階保管でだ。私も、マンション4階に住んでいた東京時代、買ってひと月も経たない新品が上下管同時に大きく割れて愕然としたことがある（工房の主は無料で直してくれたうえに、別の新品との交換まで提案してくださった）。東京は乾いている。ジメジメ京都に移って以降、竹は常時室内に数十本出しっぱなしだが、割れたことは一度もない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういえば、某お安い工房の竹を買って帰った留学生くんから、これまた裂けるようにパカーンと割れてしまったと、たいそう落ち込んだ様子の文面とともに写真が送られてきた。アメリカの乾き具合は東京どころではないのだろうなあと同情しつつ、見事に割れた部分の断面をよく見てみると、まあ地が分厚いこと。重そう&amp;hellip;。これなら、もう内径は3Dプリンタで作って、そのパイプを竹に嵌めてスキ間を樹脂で埋め、ラッカー塗っても同じじゃないのと思うだろうし、竹材なんか音には関係ないと思うだろうし、その先にはもちろん、そもそも尺八を竹で作る必要ある？という問いが待っている。あ、だから現今のテイタラクであるわけか。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%94%E3%81%A1%E3%81%A8%E5%95%8F%E3%81%84%E9%80%83%E3%81%92</link> 
    </item>
    <item>
      <title>すべてが一気に</title>
      <description>記事を探すのは面倒なのでやらないが、何年か前にここで「オノレが正しい腹式呼吸をできているかどうか、自分では判断がつかない」というようなことを書いた記憶がある。そのことについての、数年後の私の所感。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず、腹式呼吸ができていないとどうなるか。音を変化させるために、腹圧以外の「パーツを使った調整」が必要になる。そのパーツとは主に、気管とアンブシュアであることだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このうち気管は、少なくとも私が習ったメソッドにおいて「調整のために使ってもいいパーツ」だ。メリ時にアゴを後方に引いて気管にクランクを生じさせ、息の流量とスピードを落とすことは許されている。対してアンブシュアは、言うまでもなく「調整のために使ってはならないパーツ」だ。いったん変化させたアンブシュアは瞬時の原状回復が難しいし、この場合の「調整」は多くの場合、息のノズルを狭めることであるため、音が狭くキツくなり、歌口側の息受けの柔軟性も損なわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
タブーであるこのアンブシュアによる音の調整を繰り返していると、音はおのずと狭くなり、しまいには小さくなる。曲の前半と後半で音量に差が出てしまう、もしくは、後半に行くと息ノイズが増えるのは、アンブシュア頼みの音の調整をしていることが原因であることが多いのではと推測する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう。腹式呼吸は「音味と音量が終始安定している『なら』たぶんできている」ものなのだと、現時点の私は暫定的に考える。ついでにいうと、連続的な音についてのみならず、アタリやムラ息、吹き終わりのデクレッシェンド、ハズミといった音の始まりと終わりをかたちづくる奏法いずれにおいても、腹式を実践する（＝アンブシュアを変化させない）ことは当然必須となるはずだ。腹式呼吸とはかかるアクションであるという理屈は、今もって私には言えない。吹き終えて「あ、今だいたいできてたみたい」としか言えない私は、さてヒトサマに腹式を教えなければとなった時になんとしようか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000653.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1769695962/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ　トランジットがてら1泊した初の香港。本土同様、パワーの要りそうな街。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
竹に触れてからこれまでに、例えば四孔アケからのツレを何度アタってきたか数えられるものではないが、本番で会心のツレを放てる確率は、まァ数％から、超絶好調の日で20％ほどか。こんな私が腹式呼吸をマスターしているなどということはあり得ないし、仮にマスターできれば、その瞬間にオノレの音についての悩みはほぼすべて消えてなくなるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すべての技は互いに連関している。アレができないということは、できていると思っているコレにも必ず悪影響を与えている。技は、あるピンポイントのタイミングで核反応のように「すべてが」「一気に」完成を見るのだろうと、やはり仮に考えているのが今の私だ。軽々しく完成などとナメたことを言うようだが、技が完成しない限りそれを使っての音楽もへったくれもないのだから、目指すほかはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一管の笛ふところに歩み来る人は嵐を抱くごとくに（北沢郁子）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しばらく以前に、師匠に教えていただいた一首。歌集買わにゃ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歌やんで跡はどうとも白糸の切れる切れぬは兼合の藝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このオツな一首は、上の歌と同時にページの写真が送られてきた、石川 淳がものしたと思われる随筆の末尾に置かれた歌。夷斎詠かと思いきや、AI先生によれば「&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;明治・大正期の新派劇の名優、初代 喜多村緑郎 が、泉鏡花の名作『滝の白糸』を演じる際の極意を説いたものです」だと。ええ、ホンマか？ 念のためもう一度検索してみると「歌（あるいは、その場の盛り上がり、取り決め）が終わってしまえば、その後のこと（結果）はどうなろうとかまわない。白糸（恋の絆、あるいは結末の合図）が切れるか切れないかは、まさに絶妙な兼ね合い（駆け引き、タイミング）の技（芸）次第である」という意味合いであるとの由。ははは、AIバッカでェ。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;
&lt;div&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;この歌を導く随筆結びの段落は以下の通り。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　arsとはわざをいふか。わざは變りながらつづいてゆくが、人間は變りやうもなく死んでゆく。そのやうにきこえる。一代かぎり、人間といつしよに、わざも一度は死ぬが、そのわざに後世の發明が活を入れて、これがまたおほきに生きのびるのか。死んだ人間はそれつきり。他のたれかが死ぬのではなくて、當人のおのれが死ぬ。いのちはみじかし。これは譬ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
厳しくていい。「發明」もせぬままただ「生きのびる」ことに汲々とする手合いも人間らしいとは思うが、一匹狼とは名ばかり、野良犬よろしき私などは、気ままに「活」を見つけつつ「それつきり」へ歩いていく。今日は新娘道成寺を独習した。暗譜にだいぶ虫喰いができている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜追記＞&lt;br /&gt;
さらにキーワードを変えながら検索すると、上記「滝の白糸」における水芸人・白糸の決め台詞に「歌やんで跡はどうともなりやがれ」がある、という託宣が出てきた。こちらはソレっぽいし、その流行歌（？）を夷斎先生がもじってしゃれた芸道の歌に仕立てた、というのは、かなりありそうなセンだ。にしても、嘘八百を「これが答えです」と提示しておいて何の責任も取らないとは、AI稼業は気楽なものじゃえ。&lt;/div&gt;</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%8C%E4%B8%80%E6%B0%97%E3%81%AB</link> 
    </item>
    <item>
      <title>アユタヤに思う</title>
      <description>気づけば松の内もギリギリ。できなかったことはマイペンライ。振り返らず過剰に反省せず、前を向いていこう&amp;hellip;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
年末年始をバンコクで過ごし、元日に妻がお世話になっているカオサンの良心的な日本茶カフェ・イノメで竹一本ライブを行い、4日にアユタヤへ日帰りで出かけたほかはほぼ妻のアジトでゴロゴロ。とにかく秋から年末へと二次関数的に加速していったギュウギュウスケジュールの疲れをとりたかった。が、あんまりとれなかったな&amp;hellip;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/P1000867.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1768472668/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
S5Ⅱ　ワット・マハタートの有名な仏頭。見下ろす視点からの撮影はNG。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チャンスがあれば献奏してみるかとアユタヤには竹を持参したが、最もメジャーなワット・マハタートは有料の史跡公園として管理が行き届いており、無断パフォーマンスはご法度（ちょうど役者ありの動画をアポなしで撮ろうとしたらしき一団が受付で怒られていた）。ので、その後訪ねた無料かつ管理者がいないワット・プラガームで吹いてみた。バンコクの外真っ白中キラキラ寺院では不思議と竹を吹く気にならないのだが、古色豊かなアユタヤは、寺の多くが現役ではない &amp;ldquo;跡&amp;rdquo; であるためか、昔の光今いずこ、竹と馴染む空気なきにしもあらず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/VjcDYfGcbYg&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
一二三鉢返調　夕刻とて羽虫にたかられ、内心悶絶しつつ吹いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ワット・ロカヤスターラームの寝釈迦の前で雲井獅子も吹いたが、こちらはやや落ち着かない環境だったこともあり明らかにデキが悪い。それでも聴いてみたいというご奇特な向きは、&lt;a href=&quot;https://www.youtube.com/channel/UCtn-BgKgtf8mpqe4Vy5Mhsw&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;チャンネル&lt;/a&gt;のほうからどうぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すでにやんごとない方面を含めいくつか感想をいただいていており、それらを揉んでみて改めて思うのは、私は喩えるなら「よい備前焼を作りたい」と思っている備前の陶人であり、「よい焼物を作りたい」とのみ考えている多才の陶芸家とは、根っこへさかのぼっていくとどこかで折り合えないところが出てくるのだな、ということだ。別にそれはイケナイことではないだろう。違ってこそ楽しき世界。「備前にこだわらず、これも試しなさい」という親切なお誘いは、ありがとうと笑ってお辞儀して過ごせばいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
好きなぐい呑み集めも、その考えとリンクさせれば「あれもほしい、これもほしい」が（入手後の「あれ、買ったはいいけどぜんぜん使わないなコレ」という後悔も含め）おのずとおさまってくる。あれもこれもの作家をまずは除けばいいのだ。コケの一念を通すウェイ・オブ・ライフが、私にはフィットする。今年もますますフレキシビリティを捨てつつ、波風は立たせない頑固者に近づいていこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本日〆切。西へひょうと放った音の鏃に、この思いがちっとは滲んでいればいいが。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%82%BF%E3%83%A4%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%86</link> 
    </item>
    <item>
      <title>ミダレ・アタリ・チラシ</title>
      <description>またも告知をしないまま、舞台をふたつ終えてしまった&amp;hellip;。このズボラよ。事後報告その壱をば。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/IMGP2593.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1763916372/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;11／16（日）&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「第26回 音和会」&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
京都堀川音楽高等学校 音楽ホール&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伊福部昭作曲の「サハリン島先住民の三つの揺籃歌」を清水翔仁さんと、乱輪舌を島田洋子先生と合奏いただいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サハリン。今のバイクは知らないが、昔のそれにはアイドリング回転数を調整するネジがあった。ピアノにもピッチをイジれるツマミがあればいいのにと、合わせるたびに思う。日頃からほぼパートソロでしか演奏しない私ゆえの身勝手な発想。&lt;br /&gt;
さておき、ヴォーカルを九寸管で吹いて毎度の泥縄で練習していたのだが、3曲目の「ウムプリ ヤーヤー」を吹こうとするとツの大甲が頻出するので1オクターブ下げていたところ、あまりにも地味で我慢ができず、前日に八寸管譜を作ってみたところ、九寸の大甲ツが八寸のハ四なのでめでたく収まる音域にはなるのだが、最も出番の多い九寸のハ五は八寸ではヒ五中となるので、吹けることは吹けるがやたらムズい譜とはなりにけり。前夜に何度か吹いてみて、まあこりゃノーミスでは済まないなと思いながら舞台に上ったところ、やっぱり大いにやらかして、でも、この曲の尺八での演奏はとても気に入ったので、リベンジフラグが立ったのは悪いことではないと負け惜しむ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
みだれは、曲決めが半年以上前だったろうか。コンクールのために独奏でそれなりに吹き込んでいた曲だったので、箏と合わせてひと段落ということにしようと考えたのが運の尽き。独奏のほうが軽く10倍簡単だった。コンクールで5分ぶんは覚えたし、もともとおよそ覚えてるんだから全曲暗譜も軽いだろうと考えていたが、絃の手が入ると途端にオノレの手が全く信用できなくなる。替手と云える竹の手をみだれとして（ほぼ）覚えてしまってよかったのかしら。といって、絃の手を覚えたうえで、そこに竹の手がどう添うのかまでを覚えきる時間と自信はなく、恥ずかしながらで譜を置いての本番とはなったのだった。島田先生は言わずもがな、さらりと完璧。調子イマイチの私を、自然でありながら張り詰めたグルーヴで巧く転がしてくださった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう本番。この日の舞台はなぜだかとてもうすら寒く、楽屋で先生に申告していた442Hzより吹き始めの音が下がってしまった。だからと当たるわけではないのだが、これは邦楽全体の話として、緞帳のない舞台で、曲前にキッチリ調弦をとることはなぜいけないのだろう？ 調弦の終了と曲のスタートが近いほどピッチが合うことは自明なのに。&lt;br /&gt;
弦楽四重奏などでは弾き始める直前に、オーケストラでも指揮者が登壇する直前までチューニングをやっている。邦楽器でそれがいけない理由はなかろう。クラシックではＡのチューニングがひとつの序奏となっている、というのであれば、邦楽器もＤでの調弦をジングル代わりにしてしまえばいい。始まって「あ、ヤバ」から修正して曲全体に悪影響を及ぼすことに比べれば、お客さんの時間と耳を少々拝借することがどれほどの損失か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ついでに。舞台での調弦が許されている場合でも、多くの人は「なるべく早く」というより「きちんと確認できたのかどうか心もとないくらいの早さで」そそくさと調弦を切り上げる。許されているのだから、得心ゆくまでキッチリやるべきだ。過去に何度&amp;hellip;いやゴホン。&lt;br /&gt;
さらに。そのシチュエーションであれば、少なくとも竹含みの三曲合奏なら基音を出す楽器がすぐ横にいるのだから、チューナー調弦はやめませんか（言い逃げ）。尺八から出るベストの音は、もちろんきれいに1Hz刻みではありませんよ（言い逃げ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/z6tkbnBoEC4&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
例によって邦楽器には響きすぎるこちらだが、サハリンでは気持ちよかったり。</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>桃畑に糞りて遠嶺を見はるかす／奈良文夫</title>
      <description>尺八は音が命であり、それ以外のあらゆるゴタクをありがたそうに聞かせたり見せたりする手合いは、少なくとも音では勝負したくない、もしくは音だけでの勝負を避けたいのだなと理解している。よって尺八絡みの動画は、画ヅラが華やかになるほど、文字や声が大きくなるほどに、奏者としての弱みをさらしているように私には見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尺八に限った話ではないが、なぜか尺八に多い話ではある。くだらないものが無くなればヨノナカの見晴らしはずいぶんよくなるのだろうけれど、清き流れに棲みかねる魚もまた多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/IMGP2312.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1760380614/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
K-1 Ⅱ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪くなる目に耐えかねて、とうとう舞台用のメガネを作った。床に置いた譜面にガキピンがきて、ゴマ点がひとつなのかふたつなのか、ツがメリなのか中メリなのか、とっさに迷うことは減った。だがこのメガネ、来年も使えるだろうか。それほどに視力の悪化は高速で進んでいく。見晴らしがよくなっても見えるものは限られるという話だ。</description> 
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    </item>
    <item>
      <title>水をおくれよ</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;「moonriders ANIMAL INDEX and more 2025」を聴きに東京まで行ってきた。大学4年あたりで聴き始めて30有余年、脳ミソの半分くらいはムーンライダーズでできているはずの私が、初めて生を見聞きしたのだから、個人的には大事件の部類に入る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまで彼らのライブに見向きもしなかったのは、ライブ音源とスタジオ音源とのあまりにあまりな落差が大きな理由だった。生演奏と生歌では到底再現できないほど凝ったことをやっている、偏執狂的なスタジオワークのパズルの上に成立する音楽である、それはよく分かる。ならば生で聴く必要もあるまいと思いなし、ライブには食指を全く動かさずにきたのだが、12年前にかしぶち哲郎、一昨年には岡田 徹を喪って、音盤の向こう側にいる生きものとしてのムーンライダーズがこれ以上 &amp;ldquo;おなじみの&amp;rdquo; でなくなっていくことを無意識的に恐れていたところへ、流れてきたライブ情報に反射で食いついてしまったのだろう。&lt;br /&gt;
アルバム再現ライブのターゲットが、何百回聴いたか分からない、また聴かなかった時期もない「ANIMAL INDEX」（1985年発表）であったことも、もちろん大きい（ま、この時期、80年代～90年代前半の彼らのアルバムはどれもその調子で聴いているのだけど。ライナーノートはみなボロボロだ）。アルバム40周年なのか。今気づいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本青年館ホールは初めて。たとえば武道館のたった10分の1とはいえ、キャパ1000人を超えるハコをライダーズのファンだけが埋めているという状況は、にわかには信じがたく、異様な感情・感興・感銘をもたらす景色だった。当然、私を含め大多数はおっちゃん・おばちゃん、さらにその上、という年齢層であったが、20～30代とおぼしきワカモノもかろうじてちらほら。若いのにエエ耳してるやん、と上からシンパシー。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曲の一つひとつについて感想を述べる&amp;hellip;などは他人よりまずオノレに対する野暮であるからよすとして。ライブを通して感じたのは、「30年以上間断なく音源で聴いてきた曲を、今さら初めて生演奏で聴く」というのはかなり異常な体験であるのだろうという手応えだ。スコップ、またはユンボで無遠慮に、自分の地層を学生時代まで掘り返して土をほぐすような、ゾクゾクと気色悪くも嬉しい感覚。&lt;br /&gt;
思わず口ずさんで頭を揺らせば、周りの聴衆もご同様に「ムーンライダーズの曲でノッている」のだ。これは「ムーンライダーズは最高だ」をごく身近な数人としか共有してこなかった私にとってショッキングなシーンだった。それが愛しくて切なくて、心強い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私をライダーズの沼に引きずり込んだ悪友Ａは、入場前に一杯引っかけて曰く「バイオリンとトランペットがいる（＝武川雅寛）ってことが、ムーンライダーズを特別なバンドにしてる大きな要因だよね」。たしかに。特にバイオリンが醸す哀愁や含羞、エキゾチシズムを帯びた音楽は、はっぴいえんどと決定的に違うところと言ってもいい（そう、余談ながら鈴木慶一がはっぴいえんどに加入しなかったのはなんと幸運なことだったろう。結果論かもしれないが、両者は混ぜると濁る風だったのだと思う）。&lt;br /&gt;
そして、ひとりでは持て余す厭世、孤独、傲慢、堕落、自傷他害、悪口雑言、自己陶酔、自己否定、ダンディズムやオナニズム、ハードボイルドをたまに持ち寄り、さまざまな種類の協同作業と各人が持つ最先端の音楽で「薄める」（覚えたてのアルコールで血をうすめるように）ことによってライダーズの曲にする、これが彼ら・ファンの双方にとって最大幸福を生み出す優れたシステムであったことも改めて実感できた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまれ、久しぶりに火がついた「ムーンライダーズを（今よりもっと）聴かなければ」の自分内ムーブメント、どうやって消化していこうか。ライブに行ったのはとてもいいことだったけど、だからといって通い詰めるようになるかというと、それも私のライダーズへの関わり方としては違うような気がして。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/250924204045887.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1759173808/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
R8 pro　このロゴはメンバーの誰かの身内さんのデザインと聞いたような。味はある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
尺八に全く関係ないことを書いたが、尺八とムーンライダーズとの間には共通点がいくらでも見つかる。私が両方を好きなのは、もちろん何らかの必然であるだろう。あ、そういえば「夢が見れる機械がほしい」ではサンプリングされた琴古流らしき音が、しめて数秒ながら使われているな（ライブでは残念ながら聞こえなかった）。というわけで、関係なくはない。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E6%B0%B4%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%82%88</link> 
    </item>
    <item>
      <title>何テユー事ナンダロウ</title>
      <description>気がつけば5カ月ほったらかしていた。&lt;br /&gt;
イイワケを書いても暗くなるばかりで益なし。今日を復活の日と決めて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゆうべ考えたこと。&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000;&quot;&gt;「音の出初めを飛ばして途中から聴くなら、尺八の音とブザーの音とに選ぶところはない」&lt;/span&gt;（大意訳）と師匠の云う。この言葉は丸呑みOKの真理であるが、これを敷衍し、若干意図的に曲解すれば「同じ状態の音をただ伸ばすことは、尺八固有の音を放棄するに等しい」に繋がる。これは私の思う竹の音のベシ・ベカラズに含まれる。&lt;br /&gt;
ただし、自分の音が常に微分的に動いているかというとこれが難しい。ひとさまの音を聴いているときは、変化の無い音が0.5秒も続けば「変わり映えしないぞ、退屈だぞ」なんて内心くさすくせに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまれ、琴古流の音とフレーズは笹の葉の構造をもってよしとする、のが基本であるが、レーツロのハズミなどでは「棒吹きでいいからズドーンと！」と師匠に叱られる。これが難しいので、まずは棒吹きの達成を目指す&amp;hellip;で勿論いいのだが、それが叶ったなら、即座に棒吹きを「同じ質・量の音を一瞬たりとも持続させず、微分的な変化のあるように」すなわち「尺八の味が感じられるように」工夫しなければならない、と思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この点、都山流は古典においてもアタリの大方を捨てているので、味付けを琴古と比べたとき（基本的には）薄くなりそうに思う。つまり琴古と同等の味の濃さを得るためには、音の初めではなく、継続音における微分的変化での味付けに注力せざるを得ない、というのが都山流の外に居る私の観測だ。&lt;br /&gt;
例えば、初代邦山師の音源など聴いてみると、少なくとも笹の葉はあまり意識しておられないように聞こえる。志向としては、少しだけ頭を細らせた楔吹きの後半にユリを加えている印象で、形状で云えば水木しげるの漫画に見る &amp;ldquo;一反もめん&amp;rdquo; に似た一音の組み立てがあるように思える。他に2～3例を拾っても（あくまで音作りの美学においては）さほど変わらない印象が得られるということは、流祖がこのように吹いたのだろうと推測できる。&lt;br /&gt;
減衰に向かう時間が長いのは音作りにおいて不利ではないか、というのは琴古の勝手な思い込みであって、都山には都山の音作りがあるに違いない。ソコントコロ、明文化された美学があれば是非読んでみたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//izukoji.syoyu.net/File/c8c9d4d7.jpeg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//izukoji.syoyu.net/Img/1758376548/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
LX100　初めての普茶料理に感心した新国宝・萬福寺、のたしか塔頭（伽藍側から撮ったため、よからぬマークになっていたのを左右反転）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
コンクール後に演奏会2つを経て、10月は舞台なし。おかげで自分を鍛えるための曲の稽古が昨年より捗って、正直助かっている。11月以降の予定は（書いて安心してまた間を空けてしまわぬよう）次回にでも。&lt;br /&gt;
そうコンクール。先日、公式チャンネルで本選の動画を見てきたが私のはヒドい出来だった（のでリンクは貼らない）。帰洛からの数カ月で新しい竹への習熟が深まりつつある証拠と思いたい。次回は本曲に戻そう。相変わらずレパートリーは貧弱だが。</description> 
      <link>https://izukoji.syoyu.net/%E5%B0%BA%E5%85%AB/%E4%BD%95%E3%83%86%E3%83%A6%E3%83%BC%E4%BA%8B%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AD%E3%82%A6</link> 
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