そろそろ次の舞台が近づいてきました。
第32回 三曲鑑賞会
京都府立文化芸術会館
10月15日(土)18:30開演(18:00開場)
2300円(前売2000円/小~大学生500円)
不思議見聞録/鳥のように/竹生島/わだつみのいろこの宮/落葉の踊り/独奏箏と小合奏団の為の協奏的三章/残月
河宮は、倉橋容堂先生・岩本みち子さんとともに、わだつみのいろこの宮を演奏いたします。
第23回 音和会
堀川音楽高校音楽ホール
10月16日(日)11:00開演~16:00前後終演
入場無料
全22曲
河宮は、ゲストの島田洋子先生・宮本潤さんとともに、虫の武蔵野を演奏いたします。島田先生はゲストですが、毎週お稽古でシゴいていただいている先生でもあります。
ということで、2日連チャンの本番。しかも、どちらも全く初めての、かつ難曲。エライコトです。1週ズレてくれればだいぶラクなのになあ、などと言えた立場ではありません。2日間、全力にて。
撮影/岡森大輔 何を撮っても力を帯びた写真にしてしまう、ナチュラルボーンカメラマン・岡森大輔さんにお願いしていた演奏会の写真がとうとう上がってきた。私が写っていることを除けばどれも素晴らしい出来。抱いて死ぬのはもったいないが、さてどうしたものか。
今回、虫の武蔵野は一丁一面一管の陣容。このソロ三曲合奏シフトで吹いていると、宮城曲における各声の独立性の高さと、それでいてなお三声が麗しく纏まって一曲を成す、驚嘆すべき作曲術に改めて唸らされる。こんにち、三曲合奏において竹が三絃・箏と同格の立場を勝ちとるためには、ほんとうはこのように、知らない人が聴いても「ああ、こういう重奏をするために楽器が三つあるのだな」と思ってもらえる構成を整えることが必須だったのだろう。
糸にベッタリの竹は「音色を聴き分ける」「単音の音味をとことん味わう」という邦楽の審美観にはぴったりと適うものだが、邦楽が日常から去ってしまったイマドキを生きる人々の耳を惹きつけるには、重奏であることの意味のアピールがあまりに弱い。宮城曲の竹手付と比べれば、琴古より多少は糸の手から離れて遊ぶ都山も大同小異だ。
地歌も箏曲も糸の曲であり、それら古典の曲において、竹に宮城的手付を “後付けで” 施すならば、それは必ず副旋律となる。であれば、竹はしぜん脇役という立ち位置に収められてしまうが、同時に「主役と同じことを違う音でやる(やらねばならない)」というくびきから解放されもする。竹が何のために居るのかハッキリさせることが即ち、糸と同格になる、だろう。現状の三曲合奏において、「ほぼユニゾンのくせに、どうして糸より大きな音で割り込んでくるんだ」という糸と聴き手のイラ立ちを完全になくすことは、どうしてもできないのだと思う。竹とて、脇役とハナから決まっていれば、そりゃ主役を立てようとする。いくら竹が音楽音痴でも、ハモりパートのほうが目立つ合奏や合唱など問題外であることくらいは知っている。
三曲の三楽器すべてを高度に扱うことができ、たぐい稀なる(八重崎検校くらいの)作曲の才を備え、西洋音楽を学んだ上でそれを相対化できており、そしてなにより古典と三曲合奏を愛するどなたか、まだ見ぬアイデアルな竹の手付をやってはくれまいか。誰が称えずとも、私が残りの人生をかけて称える。そして吹く。
もちろん、このことを言うとき、他に言いたいこともおのずと生まれてくるのだが、今はこのあたりで。