まだ持っていたっけと、楽譜棚のサ行のひきだしに赤壁賦を探すと、おお、あった。学生の頃、東京藝大の夏期講習(公開講座だったか? もう名称失念)に2週間だったか通って、1対10人程度のマスプロ授業ながら、山口五郎先生に直接教えていただいたときの手書き琴古譜…は残念ながら見つからず、残っていたのは都山譜のコピー。もちろん原本の譜面も持っていたが、それはどこかへいってしまった。五郎先生には、キャンパスの喫煙所(今やそんなものは無いのだろうな)でご一緒したときに二言三言いただいた記憶もあるが、何を話したかなんてもう全く。もうひとつの課題曲はひぐらしだったな。なぜ中能島師縛りだったのかは分からない。
私は学生の頃から古典ばかりやっていたし、幸か不幸か周りにも「現邦やろうぜ」「新曲やろうぜ」と誘ってくるメンツはほぼいなかった。赤壁をやることはないまま月日は流れたわけだが、来年、とうとう五郎先生の半月ばかりの薫陶を世に問う機会が訪れることになりそうで楽しみだ。古典以外をやれと言われれば必ずや顔を曇らせる私なのに、赤壁を楽しみだと感じるのはなぜだろうと我ながら不思議なのだが、中能島曲というのはきっと私にとって「そういうもの」なのだ。
で、そのサ行のひきだしの中には、さらし幻想曲やら紫苑やらもあった。さら幻はともかく、紫苑なんて譜面を持っていることさえ忘れていた。ろくに吹いたこともないし、思えば今に至るまで、私は「これなら勝負できる、一生吹ける」と思える六寸管を手にしたことがない。そう、なかったのだが、ちょうど先日の関東遠征中に田中忠輔さんのところへお邪魔した折、「持って帰っていいから吹いてみてよ」と渡された近作の六寸数本を、ただいま吟味中だったりする。
少なくとも春の海なら、我が八寸同様、かつて誰も吹いたことがないような風の色で吹き通せると確信できる、冗談のように中が広い一管はあるのだが、例によって律クセがキツく、舞台に上げるまでに一度はさわっていただく必要がありそうな。八寸なら多少のクセはメリカリの塩梅でごまかすが、ウルトラ広づくりの六寸はそのあたりがもともと超シビアで、指の開閉だけで賄えるはずの演奏でも微細かつ瞬間的なコントロールを常に要求してくる代物ゆえ、まず楽器をそれなりにしておかないと(私の腕では)手に負えない。で、そいつが春の海バッチコイになったとして、おそらく、現時点で出せない大甲レは出ないままなのだ。とすると、赤壁を吹くためにはもう一本要る。ううむ。
六寸づいているのは、赤壁の話ばかりではない。
第3回 下鴨音楽祭
12月17日(土)
会場は下鴨エリアの6カ所(
HP参照)
清水・河宮組の出演は月光堂楽器店にて、12:30前後より約30分間
全イベント入場・観覧無料
島田道雪先生のお弟子さんで、私もたまに補講と称して外曲吹奏をコーチ(道雪先生公認)している清水翔之さんに誘ってもらって、
月光堂楽器店を会場とするセッション1コマ(30分)を二人で受け持つことになった。で、竹二人で竹ばかり吹いてもいいのだが、清水さんは「基本バッハしか弾かない」ピアノ弾きでもあり、月光堂楽器店にはピアノがあるそうなので、竹と鍵盤でも1曲やろうということに。曲はそりゃこの場合、また季節柄、春の海をとなるわけで。清水さんには節を曲げてもらうことになって恐縮だが。我々の出演時間帯は分かり次第こちらでアナウンスを。しかし、HPで見ていただく方がきっと確実だろう。
LX100 広角からの3倍ズームじゃこの程度。天王星も画角には入っているはずだが…。
とまれ、いい楽器がないからと…もとい、正直にいこう、吹きたい曲がほとんど無いからとろくすっぽ吹いてこなかった六寸。ちっとは慣れていくなりゆきとなるだろうか。そして、上から下までチューナーで調絃をとる、自分の耳を信じず邦楽の律を軽んずる糸方はいつかいなくなってくれるだろうか。平均律の春の海の気持ち悪さよ。ま、平均律の権化たるピアノと合わせるなら忍ぶしかないのだが。