「小さい頃は、六段なんて弾いても覚えるとっかかりがないでしょ」と某先生。だからね、と見せてくださった六段の譜面には、なんと歌詞が振ってある。
まりちやんの絵本
六段附唄
(初段)
テントンシヤといつでもうちのねえさまやとなりのみいちやんもひいてます
けれどもわたしにやひけない
ひこうとおもてもゆびがとゞかない
ほんとにおことはいゝけれどねえさまぐらいにおうきくならなきやひけたもない
そのかわりにだれもいないところでしようかをうたわせればそれこそじようず
うらしまたろうにもしもしかめよ
ドレミファソラシドぐらいはいつでもうたつてきかせます
ラシレミレミドシドラシレミシラファラミドシラ
(二段)
ひくおことはいいけれどやつぱりわたしはうたがだいすき
わたしのうたうしようかとねえさまのおことゝくらべたら
ほんとにどちらがじようずでしよ
ねえさまばかりがじようずじやない
わたしだつてじきにひける
そのくらいはひける
もつとじようずにひけます
それよりおことでしようかのまねができますか
わたしはおことのまねをしてみせればこのとうり
コロリンテンツテレツチツテチコロリチトンテツトンシヤン
(三段)
わたしはおことはへたですけれどわたしはまだじようずなもの
もつとへたな人がいる
いつたいそれはまただれでしよう
わたしのにいさん
いつもねえさまがひとりでひいているとそのそばへすぐいつて
おうきなゆびにちいさなつめをはめてテンコロリンとひくつもりでも
ことがなかなかいうこときかない
チンテチコロリンだつてんばたん
(四段)
シヤテンシヤテンシヤツンシヤシヤテンシヤシヤコロリンと
じようずにひくおことはほんとにおもしろいけれど
おむこうのおばさんのおことばかりはおかし
いまじぶんろくだんなんかのおけいこふたつきもかかつてまだできない
どうしてあんなにおぼえがわるいでしよう
あけてもくれてもおんなじことばかり
トンテントンテントンコロリンと
(五段)
こんどうちのねえさまにきれいなおことができたのよ
りつぱなかざりがついてそれはきれい
ねえさまおるすにわたしがだしてないしよでひいていたら
おにいさまがやってきていくらわたしがとめてもきかず
ちよいとぼくがひいてみせよ
トントンテントンテンチンテンチンとひいたらばアラいとがきれた
わたしはしらない
わたしじやない
わたしのせいじやない
(六段)
おとうさまはうたがおすき
おかあさまはおことがおすき
まいばんよるのごはんがおしまいになるとうちじゆうのこらずあつまつて
でんきのもとでまるくなつておことをひいたりしようかをうたつて
みんながなかよくいつしよにあそぼう
わたしもいまにおうきくなつたらじようずにひきます
みなさまおやすみなさい
※引用者が適宜改行。
初段の脇に「大正の初期『マリちやんの絵本』と題し、『六段』にこの歌を附し、歌に依つて箏の手を覚えさそうと工夫されたもの。」と但し書きがある。
六段最後のサラリンが「サーラ」で「おやす」、「リン」で「み」というのが、箏を聴きながら合わせてみると面白い。歌詞の内容は…まあオコサマ向けなのだしオコサマが書いたテイであるのだから、ではあるし、大正らしい家族像が浮かび上がって趣深いと云えなくもない。
ふーむ、面白い、と感心していると別の歌詞が書かれた譜面も見せてくださった。
春のそのやよひの野辺みれば
すみれ花咲く春がすみ
清き鎮守の小川サラ〱〱〱
流れ行く鳥の声さえいとのとかに
ひばりのうた面白く満山のさくら
雪かはた雲か,そよ風枝を吹けば
落花粉(フン)々 余韻じよう〲
古村の鐘空にひゞき渡る夕陽西に沈み落つ、
いざ諸共に家路を指してぞかへりゆく
こ、これは…。覚えにくい…。こちらは譜ではなく一枚ペラに歌詞のみが書いてあったので詳細は分からないが、きっとこの文字数の少なさからして一音がかなり長そうでもあるし。歌というのは、ちょっとヌケているほうが覚えやすいのだなあ。しかし、ふたつとも語呂だけはもう少しなんとかならなかったものか。いや、面白い。
LX100 市田邸にて。いまだ二階に学生さんが「住んでいる」のには驚いた。できればトイレは利用者・関係者用を別に設えてほしいものだが…。