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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

双葉より芳しく

九十九里・東京遠征から戻ってもう1週間が経つ。が、疲れが抜けた感触はまだない。年男もあと2日。アラフィフからフィフへのカウントダウンが始まる新年を前に、歳を喰ったなァ…ではなく、ますます卓球で身体を鍛えて生涯最高の膂力を蓄え、来る49八苦の年を乗り切るぞと空元気。

ともあれ。東京に出たついでと、たまたま日程が合った早大竹友会の定期演奏会を所用の合間に4曲だけ聴いてきた。早大虚竹会の定演は数年前に15年ぶりくらいでフラリ聴きに行って、もちろんOBと悟られることもなくやはり途中でこっそり帰ったのだったが、竹友会の定演となるともう何年ぶりやら見当がつかない。

さても懐かしき学生邦楽、糸のみの茶音頭、磯千鳥、五段砧と、連管の紫鈴法(三曲合奏が少なかったところを見ると、今は竹方があまりいないのだろうか)。思うところさまざまあれどひとことで言えば、打たれる演奏であった。もちろん入学・入会して初めて邦楽に触れた若者が大方だろうから、数年で熟練の域に至るのはいくら時間のある学生とて難しい。それでも、その技量を一切ごまかさず、飾りもせず生(き)のままで提出する潔さ・真摯さが貴い。

同じ部室を共有する虚竹会に属していた頃、竹友会の生真面目さを浅はかにも「もっといろいろやればいいのに、物足りなくないのかしら」などと思っていたものだが、今にして思い返せば私の大得意たる回り道のそれが第一歩。揃いのアロハを着て六段を吹くことに何の意味があったものか。まともに吹けず、ろくに練習もしていないから「いろいろ」やってごまかすのだ。アホくさいがしかし、学生のやることは大概アホくさい。竹友会が一貫してエラいということだ。

そして、各人の技量に高低はあれど、地歌箏曲(しかも九州系の)の間の共有という点では、ちょっとそこらのサークルでは太刀打ちできないのではないかというレベルを見せていたのがなお嬉しい。三曲揃ったサークルである竹友会の面目躍如…にしても、習いたてだろう曲でああもビタビタと間を合わせるためにはどれだけの下合わせが必要かと思いやるに胸が熱くなるのを抑えがたい。そして、難度の高いアノ間の勘所を短期間で体得せしめる師匠先生の教授法の素晴らしさ、その師匠に弟子が寄せる深い信頼もまた偲ばれる。

回り道をしたから気づいたこともあった。それは私の結果オーライであって、芸事によらず人間一般まっすぐ進むに如くはない。「いらんこと」を排除し、古典の高度なアンサンブルのみを促成栽培で若い身体に叩き込む、という竹友会の音楽は、いまだ現代邦楽やポップスがプログラムの多勢を占める(と見受けられる)学三においてはいつまでも地味に見られるのだろうが、分かる人には分かる、それでいいのだと思う。そして、そういう音楽が内面深くに根づいて幹をなし、枝葉を繁らせるのは圧倒的に卒業後。忙しさに負けず、長く続けてほしいと切に願う。


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知る人ぞ知るといえば、我が家から自転車圏内、北白川『にしむら酒店』も知る人ぞ知る。ここで仕入れた「天穏」に「不老泉」(参年熟成の<加水>という、よそにないレア酒)、さらに居酒屋『いっしょう』経由で取り寄せてもらった「木戸泉」の計3升で年越し体制は万全。喪中ゆえお飾りこそ出さないが、例年通りの呑んだくれ燗正月を待つばかりではある。あ、大掃除、はボチボチ。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
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