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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

ことども

湿気と気圧の乱高下で悶え呆けているうちに夏がようやく終わったらしい。千葉の台風禍、九十九里の師匠宅でも庭木が倒れるなど凄まじい風であったそうだ。あちらの古めの一軒家の大多数が設えている、ちょっと背が高すぎるんじゃないかと思えるほどの槇塀は、あの非常時のためにあったのかと合点。おなじく彼の地では地下水を水道使いしている世帯が多いようだが、これはつまり集合住宅と同様に、汲み上げポンプが止まると水道が通っていても断水ということになってしまうのだとニュースで知る。停電と断水はセットなのだ。恐ろしい。

それにしても、今回の「気がつけば大災害」にニッポン国民が気づくのが遅れたのはなぜか。通信インフラのダメージ、関東圏でそう大きな被害が出るわけはないという無根拠な空気・思い込み、などはもちろん大きな原因ではあろうけど、それだけか。ヨノナカに「今、夏の東京および近郊で大きな自然災害が “あっては困る”」という有形無形のおかしなバイアスがかかってはいなかったか。

それが気のせいであっても一向に構わないが、今回の台風に限らず、あらゆるライフラインが(人・共同体もろとも)脆く老朽化しているところへ、天災の苛烈さは全地球的に度を増すばかり。脳天気なスポーツ夏祭りに何千億円も使って、見返りは何か。国交省から経産省まで横断しつつひたすらインフラのメンテナンスを行う「修繕庁(もしくはいきなり省)」をでも創設する頭金にすればいいのに。我々はもう充分すぎるほど持ってしまったし、今後は確実に余る。どころかお荷物になる。直し直し、だましだましで貧乏くさく行くのが最善。めったやたらと新しいものを作る意気軒昂のやっつけ仕事は、年寄りの繰り言が届かぬ若い国に任せて。

不人気と叩かれる「いだてん」、私は毎話面白く観ている。脚本家は「スポーツの純粋」を面白おかしく描くその陰で、かのドラマという構造自体に大きな毒を孕ませようとしていることが明らかだと思えるから。

そぐわぬ話を。


K-5Ⅱs インドは当分イケイケドンドン、でいいのだろう。

初学・楽典綱要を読むにあたっては、まずカクカクを読み、シカジカを座右に置くべしと。手ぶらで原典にあたれるほどのオノレは碩学かと師匠。全くその通りなので、恥ずかしながらしばらく先延べに。

代わりに、私以外の人には何の役にも立たない、しかも仮説程度の、近頃のエウレーカ。備忘録として。「これは当たってるんじゃないか」確率付きで。

・ヒは右手(管尻側の手)で支えるべき音ではないか。ここの支えがしっかりしていないと、撞木たる五孔のアタリで管がブレる。(80%)

・アンブシュアは一定、が鉄則だと考えていたが、一定であるべきなのは開口面積ではないか。開口面積を変えないためにアンブシュアの動的安定や脱力が求められるのでは。(50%)

・一音のカタチは韻引きから逆算して設計すべき。演繹的、というか場当たり的に音を膨らませ、しぼませをやっていると間延びする。(70%)

・フレーズを追うと音が荒れる。曲の形、陰陽抑揚など頭に入れた上で、あらゆる一音を仕遂げる、の姿勢を「普通」とすべき。(70%)

とりとめもなく。四季の眺め、一二三、若菜、笹の露、真虚霊、西行桜。去年と同じ、年またぎラッシュだ。大曲もいいが秋の宵、音もほどよく乾いてきたところで夕顔あたりをしんみり吹きたいのだけど、誰か誘ってくれないかしら。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
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