東京から関西へ、といっても生まれ育った神戸から100km近く離れた京都へ戻ったのが14年ほど前。その年に父が亡くなり、昨年は母が。そして先日、実家に独り暮らしていた弟が不慮の事故で世を去った。
毎度時間圧縮が起きる葬儀前後の数日と、その後の始末や手続きや、もろもろが一段落してふと気づけば、血を分けた肉親はもう居ない。事態をどうにもうまく呑みこめず、枯れ野原で肌寒いそよ風にのべつ吹かれているような、哀しくも落ち着かないおかしな心地だ。床の間の前に据えた真白い祭壇に向かって追善の調べをことさらに吹く気にもならない。ので、十年一日の一二三やら、いつもの曲を吹いている。昨夏の「尺八・風の色」を聴きにいくと言っていたのに「暑いし遠いし疲れる」と結局来なかったメンドクサイ弟め、墓に収まるまでせいぜい兄の竹の音を間近に聴け。百箇日法要は12月24日。宗教について飽かず考え、不器用な堂々巡りを続けた彼に、なんとのう相応の因縁と云えようか。
人はひとり死んでいく、と肉親に代わるがわる三度も叩き込まれれば、自分もいずれ、いや下手をすれば今日や明日にもの諦観は確かな肌ざわりをもって迫る。ロックを柱に数千枚のCDやレコードを所有した弟は、聴くだけ聴いて儚くなった。彼が生涯かけて蓄えた音楽の滋養は、いまどこに在るだろうか。私はまだしも幸いなことに、血肉と化したひとさまの音楽や物思いを、何らかのかたちで表出できるかもしれないところにいる。励まなければ、考えなければと思う。
第7回有楽伯のチラシコピーに「一音は減衰しつつも無に帰することなく/漆黒の宇宙へ拡散しゆくとさる師の言う。」と書いたのが…そうか、もう8年も前か。放った音にやり直しはきかないが、無いよりマシの足跡にはなる。
会葬に参じてくださった皆さま、お悔やみをいただいた皆さま、ありがとうございました。