吉田都さんという人は、英国ロイヤル・バレエ団で実に22年もの間プリンシパルを務めたそうだ。“こちら” の世界ではほとんど想像することもできない偉業であるだろう。なぜ想像もできないかを縷々書き連ねていくとややこしいことになるので措くとして、その生ける伝説たるダンサーが引退、というニュースを先日見た。10秒にも満たない引退公演の映像ではあったが、いやいやひと目見れば分かる、キレッキレではないか。あの境地にありながら現役に未練なしと勇退を思い切れるのだから、ここに至るまでにどれほどのことを為してきたのか。10秒弱の映像がド素人に、恥ずかしくも初めてその名を知った人の業績を偲ばせる。これぞ圧倒中の圧倒か。
先のローザンヌ国際バレエコンクールをテレビで観たときにも思ったことだが、バレエという舞踊は、厳に伝統的でありながら、また国ごとにいくつかの流派・流儀も抱えながら、まるで閉鎖的でなく、バレエ的な美しさを体現する人間は国籍を問わず評価される。さて邦楽、をまるっと俎板に上げるのはやはりややこしいから尺八に限るとして、どうだろうか。考えてみると意外に、条件としてさほどの差違があるわけではないなあと。違うのは、世界で学ばれるバレエと、日本に居なければまずまともに学べない尺八、ということくらいだろうか。そして、主にそれがゆえに、市場規模(?)には雲泥の隔たりがある。
尺八がその出自から “音以外の意味” を多分に纏う楽器であることは、愛好者のみならず多くの人が感覚的に知っている。竹笛としての起源は大陸にあれど、日本ならではの文化・精神風土のなかで磨かれたのが尺八であり、ただの楽器ではないという思い。これは、今もって竹を法器としてのみ扱う修行の徒から、古典など吹いたことがない学生さんまで、程度の差こそ大きけれど誰しもが抱いている感慨であるはずだ(いや、今やこの推測さえアナクロであるかもしれないが)。陰→陽を意識しながらツメ→ロと一二三の冒頭を吹く。律・奏法ともに正しく吹いたとしても、その陰陽の感覚がなければ魂の入らぬ仏、と。
ルネサンス期、つまり室町中期にイタリアで生まれた宮廷舞踊がメディチ家からフランス王室に伝わり、100年後のルイ14世の熱狂によってバレエがプロフェッショナル化していく過程のみをとっても、その間に「あんなバレエは魂の入らぬ仏だ」とイタリア語やフランス語でくさす人たちは星の数ほどいたはずだ。しかし、おそらくは狭いコミュニティの中でしか通じない “踊り以外” の意味を捨てながら、バレエはそのエッセンスを継ぎ、必要とされる新たな神髄を次々に獲得していった。その道すがら、バレエは様々な国の言葉と文化の中で伝えられるようになり、またチャイコフスキーの三大バレエ曲を決定機とするクラシック音楽との融和を経て、人文的な裾野をズイズイと切り拓いていく。フランスで明治初期の頃にバレエが徹底的に廃れ、それと入れ替わりに、バレエ文化における辺境であったロシアの古くさい=昔ながらの=クラシック・バレエが興隆を迎えるというアウトラインもいかにも面白い。
尺八目線からすると実に羨ましいジャンルとしてのサクセス・ストーリーであるが、21世紀にまで連綿と続いてきたバレエ全史において、いったいどれほどの意味が捨てられてきたろうか。それらの多くは伝わらない・伝わりにくいから廃れた。「これが大事!」と言う人々の声を「それほどのモンか?」あるいは「よう分からん」「細かいなァもう」「こっちのがエエンチャウ?」の声が圧した結果だ。それでもバレエは続く、bra。初代琴古は、イマドキの「琴古」流を聴けば必ずや目を回し、「で、これのどこがワタシ流なんだ?」と首をひねろう。そうなるしかないし、それが「伝わる」の実際だ。
ヨノナカに広く尺八を知る・修める・楽しむ人が増えてほしい、とは斯界の誰もが望むことだろう。その流れがバレエと同様の意味の剥落を避け得ないとして、さて我々 “古くさい” 人間が「これだけは譲れない」と最後までしがみつく尺八の意味はどこにあるだろうか。否、すでに竹を吹いているロートルの考えなど、そうした場においてはさしたる力を持つまい。新しい人たち、世界の人々が尺八を手にし、好きな曲を好きなように吹く時代が訪れたとして、きょうびの尺八の意味はどこまで剥がれ落ちて止まるだろうか。それと引き替えに、尺八はどのような神髄を新たに獲得するだろう。
吉田都さんは、先のローザンヌではかねてから審査員を務めており、これまた示唆に富む。100年後の尺八コンクール、審査員の陣容が楽しみだ。琴古流は、アタリは、陰陽は、まだ残ってあるか。あまた出版されているだろう外国語による尺八指南書の内容は。いやそも、尺八は健在なりや。いま竹を携えている人のほとんど全員が、それを見聞することなく世を去る。芸は儚い。だから面白い。
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