いまだトンネルの出口は遠く、とうの昔に鉄板と化した僧帽筋をほぐしつつパソコン前で座禅の日々が続く。こういうとき、わずかな時間の練習で譜面を見ながら吹く気にはならない。一二三、遠音、残月、八重衣、楫枕、夕顔、そのあたりのお馴染みさんから、せいぜい一、二曲、ただし適当に吹き散らかさず、丁寧に吹いて現状維持。かくの如き、置きにいく稽古を続けていてはいけない。
そして、引きこもりモードでストレスフルな書き仕事をしていると、恐ろしいのがネットショッピングの沼だ。調べものをしつつ、つい横道へ。数日するとこんな盃が届く。
K-5Ⅱs 左京区・精華大卒という大江志織さんの作品。性癖全開でカッコイイ。
…おいおい、酒が呑みたくなるじゃないか。じゃなかった、さらっぴんゆえ肌理がスベスベしすぎているのを、使い込んでいい具合にくすませてやらねば。
今日気になったのは、五孔を塞ぐ左親指の置き方。孔の歌口側を時計の0時と見るとき、私の親指はいつも8時前あたりの角度で孔を塞いでいる。動かしにくい指で素早く当たりたいという意識から自然とこうなってしまうのだが、これを7時過ぎくらいの位置に矯正すると、指の開閉速度は下がるがアタリの歯切れ自体は明らかによくなる。一瞬の明滅に含まれる滋養が豊かになり、ウやウ三を援用せずともリ・ヒのアタリがスポンと前へ飛ぶ。調子がいい時でないと、このことに気づけない。いや、ちゃんと押さえられていないから調子が悪くなるのかもしれないが。
孔を塞いでる指を、真上に開けて、真下に閉じるだけのこと。押さえる指が20°やそこらズレようと関係ない…で、いいじゃないと我ながらたまに思うのだが、知らない人から見ればほとんどオカルトに近いだろう「これは良し・それは悪し」で尺八の奏法はできているし、その針の穴を通さず無精をすると必ず、必ず、必ず何かしらの障りが生じる(ほかの楽器もみなそうだろう)。私の吹き方などまだまだ我流の勝手だらけ。矯めるべき悪癖は、知っている人にはちゃんと聞こえている。オソロシイ。タノシイ。
録っておいたNHK「SONGS」のSuperfly を聴く。凄い。声と歌のバケモンだ。いや、あの声に、歌さえ要るのかどうか。私も、曲が要らない音のバケモンになりたい。