年初の某会で知り合った竹友氏がいる。その日のうち大いに呑んで仲良くなり、近々の再会を約して別れたのが、ウイルス禍でそれきりになっていた。その彼から、鴨川まで出てきませんかとお誘いが。いい加減身も心も腐りかけていたところ、いざや天声とばかりいそいそと、押っ取り刀は四合瓶。いやはや、昼日中の陽光と緑とはかくも有り難いものであったか。
GX7 III
彼は長らくのテレワーク、私も負けず引き籠り。互いや周囲に迷惑をかけるおそれのほぼ無い二人であれば、ベンチに腰かけ酒肴を広げて尺八談義に花実を咲かせ、たまに思い出したように雲井獅子やら一二三やら、ナンゾ吹く。前に外で吹いたのはいつだったかと遡るに、昨年、モヒットさんが案内してくれたクリシュナのバターボール脇で「さくら」を吹いたのがたしか最後だ。
K-5Ⅱs 空の青みが京都とだいぶ違う。
岩でできた丘の上と違って、鴨川べりにはせせらぎの音や対岸の草刈り機の甲高いエンジン音、駆けまわる子らの嬌声がたゆたい、竹韻などろくに響かない。まして風もやや強くそよぎ、アルコールも唇を惑わせ、ロメリやツメリなど瀕死の弱々しさ。だが、周囲の音が偶然減じるタイミングで、ふとゼロエコーの竹の音が通る。悪くない。
氏は私より干支でひとまわり余り年若の、昨年か一昨年かに竹に触れたばかり。メリはどう出しているか、唇はどう制御するのかと、誰彼となく尋ねたいだろうことを私にも尋ねてくれる。私は、彼の師匠が教えることに抵触しないよう最大公約数を示そうとするのだが、改めて「自分がどう吹いているか」をほとんど言語化できていないことに呆れてしまった。いや、自分では伝えることができるつもりでいたのだが、いざ知りたがっている人を前に吐いてみれば、我ながら抽象的・感覚的な空しい言葉が連なるばかり。綻びを繕おうと言を重ねるほどに穴が大きくなっていくような。金魚のようにパクパクしていると、しまいには「言葉で全部伝えられたら音楽の用がありませんよね」と気を遣われる体たらく。
然り、言語ですべてを伝えることなどできはしない。それでも、何かを教えようとする人はあまねくその絶対不可能に挑まなければならない。その多大の労を、九十九里の師匠をはじめ幾多のありがたい先達にいただきながらこぼし散らして今に至る我、それが能力の限界であると自覚しつつも、なお恥ずかしき不肖。
気がつけば日は暮れかけ、汗ばむ陽気は川風に運ばれいずこかへ。このまま手をこまねいて腐り落ちるわけにはいかんなと当たり前のことを思いつつ、コロナ明け、今度は旨い酒場でまたと、駅前まで送ってくれた竹友氏に手を振る。帰宅して再び竹を鳴らしてみれば、おっ、リフレッシュされた肺腑が巣籠りのナヤシから一転、少しは実のある音を導くような。しかし錯覚に気をよくする暇もあったものかは、オノレが先刻さかしらに語った我流の生兵法、それをすらすべて実行できているつもりかえと、姿見に映るオノレが問い詰めてくる。教えるとは、生半尺であってさえ自らへの痛烈な指導鞭撻でもあることだ。