と、「宋史」に書いてあるそうな。
誰も疫病に罹らない方がいい。その題目に異議を唱える者はない。ではそのためにどうするか、という現実世界での題目の運用においては、人が二人もいればもう違いが生じる。イワンヤ国に世界においてをや。
まっとうな尺八を吹こう。これも、あえて逆手を張りたがる天邪鬼もしくは奇手しか持てない熟れずの徒を除けば反対派はほぼいまい。原理原則はおおかた誰も履き違えていない。その運用の方向と程度が千差万別であるがために、私からはゲテモノにしか見えない尺八が喝采をさらうこともある。もちろん私もある人から見ればゲテモノだろう。誰もゲテモノと思われたくてやっているわけではないのに。理想はすべからく高邁だが、唱えているだけでは誰をも巻き込めない。皆がそれぞれに運用し、受容と無視と軋轢を生み出しながら世界は回り、楽音は響く。
さて、長らく愛用してきたレコーダーがそろそろ挙動不審になってきたので、新しいのを買い込んだ。操作性や録音後の編集機能においてはだいぶ劣るが、ある程度の指向性を備えたマイクが付いているためか、特に独奏を録ると今までよりもずっと原音に近い(と思える)音が収穫できているような。行き場をなくした世のパフォーマーたちが続々と Youtube デビューを果たしている昨今ながら、私は映像が音の障りにこそなれ助けにはならぬ風体。まともなのが録れ、かつ師匠のお許しがいただけたなら、この雑文ブログのいっとう初めに書いたとおり、私的「運用」をボチボチここに上げていこうと思う。三曲合奏も、こんな時節柄、おつきあいいただける糸方が見つかればそのときに。
K-1 II それにしても巣籠もり中は笹の露がえげつないペースで減ること減ること。現在、封が開いている一升瓶は秋鹿、花巴、千代、竹鶴。ちょっと派手が多すぎるか。今年に入ってからは、家では燗しか呑んでいない。そろそろ無濾過生酒系を呑めなくなっているかもしれないが、試していないので判らない。
晴れた日は爽やかだが、なんとのう雨や曇りが多く、いまひとつスッキリしなかった5月。母の三回忌と弟の一周忌を併せて営んだ先日の菩提寺では献奏を以前のようには吹ききれず、時局に鑑み親族への声かけを諦めたのはこの点でのみよかった、などと。
肥満よりも心肺機能をはじめ体力低下が竹に滲んでくる気配が恐ろしく、とうとう2カ月半ぶりに運動を再開した。マスクをしたまま汗をダラダラかくのは決して快適ではないが、スポーツという生の明滅、その楽しさや深い喜びは、やはりこれも文化と呼ぶにふさわしいと感じ入りつつ、なまりきった体を必死で操縦していたのだった。
マスクだけは忘れず、ヤバそうな場所はオノレの感覚頼みで避けつつの、コロナさんといっしょ。私はどんな死に方をするのだろうか。
1. 無題
落ち着いた暁には合奏して下さい