忍者ブログ

いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

フクシキ山の登山口

最も音が開くはずの5月がどうにも不発、の後、だらしなく膨張した夏の音に数日間だけ変わったと思ったら、梅雨入り。手孔や歌口からどろりと重たく噴き出るようなヌケの悪い音を、当分は忍ぶことになる。湿気にすっかり弱くなってしまったオノレの体調はもちろん、普段しまい込んで吹かない竹にカビを生やさぬよう注意もしなければ。


K-1 II

前にも書いたように思うが、私は腹式呼吸をマスターしていない。正確に言うと、自分が腹式呼吸をできているのかどうか明確に判断できずにいる。…はずだったのだが、ようよう最近「あ、今やってるこれが腹式だな」と分かるくらいになってきた。そのいい加減な自己診断によれば、私が “明確に” 腹で吹けている時間は、全体のおよそ7割というところだ。残り3割は、できているのかいないのか、やはりよく分からない。

よって当然ながら「腹式呼吸とは何ぞや」にはまだズバリと答えられない。今つかんでいるのは「メリカリや笹の葉形の音づくりが苦もなくできるときには腹式ができている」という手応えのみ。そのとき、たしかに胸から上のパーツにはどこにも(手指にも、喉周りにも)必要最低限以上の力が入っていない。筋肉は緊張せず、柔らかだ。エンジンはおよそ正しく回っている、しかし、そのメカニズムを掌握しているわけではない。だから、残りの3割が分からないなどという締まらぬ体たらくになる。

息の量と流速は胸よりも下が司り、メリカリは、その胸より下の操縦による息の流速制御と、首の前後運動による気道のヨジレ(と、顎当たりおよび管の微妙な角度調整)とでシンプルに達成される。やはりエンジンを引き合いに出すなら、トルク、出力、アクセルやブレーキへの追従など、音の大小やエネルギーに関わる調整のすべてを腹で賄う。そして、指や気道など腹以外のすべてのパーツは、ハンドリング、すなわち旋律を操縦するためだけに用いる。蓋しこれが尺八吹奏の本来であるのだろう。

単音を大きく出す(出力を稼ぐ)だけなら、普通に発声するときのように、胸にたっぷり入れた空気を、胸郭の復元力を借りながらそのまま押し出しても不足のない音は出る。上記のややこしい身体操縦よりよほど楽だ。しかし、曲を吹くときにはその復元力が、あるいは息が少なくなったときに胸郭から空気をひり出そうとする筋力が、慣性や道塞ぎとなり、微細なスロットル操作においてさまざまな邪魔をする。例えばヒの直後のチメ、ツメの直後のツ、ヒ五の直後のヒメといった場合に必要な “正しい急制動と急加速” ができないのだ。これではまともなジムカーナはできない。つまり、曲が吹けない。

そして、この復元力や筋力による影響を(腹式ができていない状態で)殺し、音を出すために必要な一定持続の息を出そうとするならば、唇に強いテンションをかけて息を絞らざるを得ないのだが、これは「腹(正確には横隔膜)が取っ手、肺が蛇腹、気道・口腔・唇がノズル」であるべきフイゴ構造を「胸郭と肺が取っ手、口腔が蛇腹、唇がノズル」に矮小化するようなもの。ひとたびこれをやると、蛇腹とノズルが硬くなって出したい音に合わせた息の調整がとっさにできないだけでなく、唇周りと連動して首筋の筋肉が硬直するために顎を引けなくなり、メリが下がらなくなる。無理矢理メろうとうつむいて角度をつければ、音はひしゃげて醜くなる。というか、そもそも唇で絞った音はカリでも音幅が狭くて耳に障る。もし腹式を実行できていたとしても、唇で息を絞っている限り演奏としてはダメ、ということだ。

つまり腹式は、音の出し入れ・押し引きやメリカリが全くスムーズである時に自ずと「できている」。そして、腹で息をコントロールすることは、それ自体が目的というよりは、腹以外のパーツを適切に脱力させるために必要な方法。私にとって腹式呼吸はそういうものであるらしい。もちろん、腹を意識してはいる。しかし、腹をどうしている状態が最良であるのか、言葉で説明することは難しい。それより「胸より上がキッチリ脱力できている」という背理的な条件を意識し、整えていくほうが、少なくとも尺八の腹式呼吸を習得するためには近道ではないかと思える。

遠い昔、某先生が弟子の持つ竹の管尻をご自身の腹に当てさせて、「フッ!」と吹き出すアクションを取るたびに腹がグッとせり出し管尻を押すのを感じさせ、「こうやって腹で吹くんだよ」と教えているのを間近に見たが、アノ教え方だと弟子が勘所を間違って覚える、もしくはいくら真似ても腹式を習得できない可能性があるな、と今にして思う。意識的に腹を前に突き出すことが必要なのではない。横隔膜をフイゴの力点として使おうとするとき、腹はその反力で分厚いゴム製の氷枕のように少し膨張し、腹筋の緊張と均衡がとれるところで止まる。このあたりが実際ではないか。おそらくだが、某先生は実際の演奏においてお腹をボンとせり出させるような呼吸を実践していないはずだ(もちろん腹式呼吸自体は、あるいは無意識のうちに正しく行えているのだろうけれど)。「腹を出す」は、あくまでご自身のイメージ。鵜呑みはまずい。

Eテレ「Q~こどものための哲学」風に “ぼくの今のところの答え!” で纏めるなら、竹においての腹式呼吸は、胸から上の脱力を条件とし、またその脱力による演奏の自由度向上を目的として行われるもの。胸式呼吸の短所が表れていない演奏では、腹式呼吸が「できている」。当然ながら、吹きながらにこうした自己診断を行う余裕がないときほど腹式はできなくなる。毎度毎度の不正解、もしくは今さら、もしくは言わぬが花。

というわけで、ようやくとば口。そして、いつものことながらすべては連関している。腹式が不完全である限り、その他の吹奏技術も確実に穴だらけ。よくよくオノレの吹奏を「でーぷりー」に観察し、ひとつひとつピースを埋めていかなければならない。幸か不幸か、今はそれにうってつけの。
PR

コメント

プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

P R