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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

高聴御礼

どうあれ私の音は、少なくともあの日・あの場において、放送にのせてもよろしいという判定をいただき、スタッフの皆さんのお力を借りて10分の「売り物」に纏まった。そう、出演料をいただいたのだから、あれは売り物なのだ。買ってくださいと持ち込んだ本人が、いまさら曲の出来をとやこう言うまい。8カ月前の己がこだまは自山の石として、道中の硬い握り飯に。

ご高聴いただきました皆々さま、ありがとうございました。また、オーディション・収録・放送でお世話になりました皆々さま、改めまして、ありがとうございました。


LX100

すぐそばで聴く生音と
すぐそばでマイクが拾い、
デジタルで記録され、
再生される音とは、
矢張り微妙に違う。
再生装置の優劣もあるし。

それをかんじるのは、近い人だけなのか、とも思う。

師匠より一聴後にいただいたメタファー、の、ごく一部。先日の和三品の会に来てくれたうえに放送も聴いてくれたカメラマン・Oさんは、あの会場で見えた音の色(群青色であったそうだ)が今日は見えなかった代わりに、レコードかCDみたいに滑らかな音に感じられたと。

録音した時点で、写真と被写体の関係ほどではないにせよ、音は次元を一つ相当下げる。よしあしではなく、別物になる。それをどのように再生する/させるかで、その別物はさらなる別物に変容する。師匠はもちろんご存知のことながら、Oさんにとっては「あれは収録やから行儀よう吹いてたん?」と私に尋ねたくなるほど不思議なことであったようだ。

しつこいがよしあしではなく、という前提付きで、音楽においてゆるぎのない「原本」は、現場で発せられた生音だけであり、かつ、それをさえもとらまえることはできない。通常の邦楽の演奏会では考えられないほど多くの人にふたたび音を届けられたことはとても嬉しいが、「セットで生音もいかがですか?」と、がめつくおすすめしたい気持ちを抑えることはできない。

ライブで、可能な限り生で、皆さんの前に立ちたい(座りたい)と思っています。放送で興味を持っていただけた方がいらっしゃれば、今後の舞台へも、ぜひ、ぜひせひ。

そうそう、「らじる★らじる」の聴き逃し配信、7月26日(月)11:50までこちらで聴けます。私の音を放送でも生音でも未聴の皆さま(すなわち、日本の/世界の圧倒的大多数の皆さま)は、とにもかくにも、ぜひぜひぜひ。
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プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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