前項、生の音を、を書いたあとでふと、コロナパニックまで毎年恒例であった、そして、長らく邦楽的引きこもりだった私にとって貴重な生演奏の機会であった演奏会「有楽伯(うらはく)」のことを思った。
早稲田大学の邦楽3サークルOBによるこの演奏会は、2006年、私の京都移住を前に、1回限りか?くらいの温度で始まった(私なんてセーター姿で出ていた)わりに新メンバーを迎えつつ順調に続き、とうとう2019年の第15回では分不相応にも、邦楽の殿堂・紀尾井小ホールをお借りしての開催となったのであったが、翌年の演奏会中止から休眠状態に陥っている。
ワクチンがゆきわたっての来年以降、演奏会再開を見据えて再始動となるはず、と期待しつつ、どうも「紀尾井でやれた」ことでもって一部に燃え尽きの気配が、これはコロナ前の一時期から漂ったように私は感じていた。この空気がリスタートを遅らせるようなことがあってはならじ。有楽伯最年長のオッサンは、我独りでもとっとと初心に返り、邦楽を続けること・続けられることの喜びを改めて噛みしめ、じんわりしておこうと思う。
というわけで、主に自らを鼓舞するため、第1・2・4・5・7回有楽伯で私が素案を担当したチラシから、リードコピーをセルフ引用する。
第1回(2006年)
邦楽にのめり込む、邦楽にしがみつく
コドモたち、オトナたち。
早稲田の杜をあとにして幾星霜
いまふたたびここに集い、楽を奏す。
第2回(2007年)
「邦楽にさえ出会わなければ、
もっとまともな人生だった」
きっとみんなそう思ってる。
でも、やり直しても同じ道を
辿るだろう、そんな7人の。
第4回(2009年)
いつまでたっても至らない。
されど「もっとやれるはず」
信じるほかに道もない。
徒手空拳、四度目の正直。
第5回(2010年)
老けた、太った、病気した。
別れた、産まれた、会社やめた。
5年もやってりゃいろいろあるけど
奏でる音は、変わったか?
自問自答のプチ決算、いざ。
第7回(2012年)
一音は減衰しつつも無に帰することなく
漆黒の宇宙へ拡散しゆくとさる師の言う。
八重洲より月星に響けと放つ我らの調べは
出来も不出来も衣擦れ息吹もそのままに
いつか銀河の端をごく幽かに震わせる。
え、なに、真空だから音は伝わらない?
それ言うな! 気分だ気分! の7回目。
引きこもりだっただけあって、ネガティブ、シニカルな言い回しがどこかしらに忍ばせてあり、今となってはイラッとくるが、まあ若さゆえ(第1回ですら立派な30代だが)。
チラシデザインはみやざきかおりさん。点描の背景で文字がやや読みづらく(失礼)、そもそもリードも長すぎるが、私はこのチラシのムードを歴代で最も気に入っている。「一音は減衰しつつも…」の言の葉は、かつて「居住まいを正して古人の列に連なる」という表現で私の心を震わせてくださったとある先生の “メタファー”。
なにもかもみな懐かしい。いや、いろいろ七面倒な厄介ごとはあったはずで、今それが巡ってきたら同じように怨嗟の声をあげるのだろうけど。さて、いま実行委員長は誰なんだっけ。
もはや筒井康隆作品的ドタバタ悲喜劇となりつつあるアノ大運動会が、以降のあらゆる再起動の障りとなりませんよう。