何処路探巧、外堀の巻
思い出したこと。
忘れぬうちに。
舞台で演奏前後の礼ですが、その浅深に関わらず、
《腰から頭頂まで一直線》です。
折れ曲がるのは腰。
これ基本です。
首を下に曲げたり、猫背は論外、作法に外れます。美しくない。
幕、緞帳ありならば、浅くお辞儀のまま、完全に開いたら、静かに起こし、構える。
演奏終わって、よろしく竹を膝に乗せ、浅くお辞儀をしてそのまま、幕が閉まるまで保持する。
これが定型に思います。
一般的な正座のお辞儀(礼)は腕、手先と連動し腰の角度も浅深ありますが、首が垂れたり猫背は無粋の極み。肝に銘じて。
と、まあ書いては見たものの、首をカックンと落として、打ち首にでもして、のカタチの礼をする例があるのを私も知ってます。
仕方なくそうするのでしょう。
略儀ながら、これで許して、って事でしょう。
多分、そんな光景を見て、うっかり真似てしまったのでしょう。
三曲の三絃の方々です。
なんせ、膝の上に楽器が乗ってるのですから、腰から折りようがありませんから。
結論。
辞儀は浅深に拘らず腰から頭頂まで一直線です。
忘るべからず。
本丸は外堀あればこその。
とっても大豆。
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ご指摘ありがとうございます。
腰からお辞儀問題、何年も前からお叱りをうけて重々解ってはいるのですが、私の場合、やたら高い正座椅子を使っているため、そのお辞儀をすると前に倒れそうになってしまうのです。
あれを作った頃に比べれば膝も曲がるようになってきましたし、そろそろ本番は低い椅子に替えてみます。次回、必ずや良き礼を。
しかし、いろんな舞台を見ても、先生のおっしゃる礼をしている人はほとんどいませんね。面白不思議なことです。
(中略)
一年で最も鳴る5月を前に、はやメイン管は唸りをあげ始め、ヨメにうるさいと言われています。
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これもスタイル、の巻
項垂れると礼はねじれの位置。かたちで見せるは任侠に限らず、関係性の根本中堂。
三曲合奏なら、如何なる礼にするか決めれば。独奏とても、どんなかたちにしても礼をするなら、決して項垂れぬように。
某組の大将なんざ、ツメツレーの如き、大見得の辞儀をかまします。
唸りをあげる。神棚、箪笥、茶碗まで震わせて、巻き揚げてください。遠慮も近慮もせずに。
ただ山の神には、御機嫌を伺うが日常安寧の肝。
LX100 似合わぬ場所に顔を出す。ただし、爆音で鳴り響くはタイのモーラム。
15年ほど前にバイクで軽ワンボックスに突っ込み(典型的な右直事故)、左膝を骨折。手術して2カ月入院。以後は正座がままならず、市販の正座椅子では低すぎて膝が悲鳴をあげるので、木工職人さんに特注で作ってもらった座面高22cmほどもある正座椅子を使っている。ので、座奏時の私は頭が異常に高い位置にあり、身長2mくらいに見えるかもしれない。この状態で一直線の上半身を腰から折る辞儀をすると、どうしても前へ倒れてしまう。
師匠はこれらの事情をご存知だが、それでもなお、辞儀の定型を満たさず演奏を始め、また終える私の姿には我慢がならないのだろう。これまでに少なくとも6、7回は同じことで叱られている。それでも「何度言ったら分かるのか」とは決して言わず、その都度、その瑕疵を初めて見たように咎めてくださる。
何度やっても師匠の求める水準を満たせないのは、一二三の稽古も然り。ああ、また同じことを言わせてしまったという情けなさはしかし、私のような頑迷の大岩をも少しずつは穿ってくれる。少なくとも正座の問題としては、事故から時を経て、地歌の大曲程度の時間であれば低めの正座椅子で深く曲げても大過ないほどに膝は復調している。次回は是非なく腰からの辞儀を。そして、一二三も遠からず。
「大豆」は師匠お好みの言葉遊びの一環にして、誤記には非ず。
そうそう、唸りをあげる5月の竹、毎年恒例のこととて。湿りすぎて音がベタベタと重い梅雨を経て、夏にはあまりの高温で竹と音が湿り気をなくしてワレガネに、初夏同様に気持ちよく鳴る9・10月を過ぎ、乾き始める晩秋・初冬には音が痩せ始め、1・2月は一年で最悪のカリカリ・キンキン。春の訪れが待ち遠しい。私の竹韻カレンダーは毎年この通りだが、きっとナチュラルに冬の乾燥・低温を好む竹吹きだっていよう。一年で最も鳴るのは何月? 大した役には立つまいが、アンケートでもとってみたいものだ。