琴古流本曲 夕暮の曲
尺八:河宮拓郎
「尺八曲。琴古流本曲。表一八曲『真の手』の一曲。金竜山一月寺の役僧半林子から伝来(『琴古手帖』)。『夕暮』とも。音楽性に重きをおいた破手の曲」(「邦楽曲名事典」)
ネット文献の曾孫引きながら、京都の俳人・随筆家であった神澤貞幹(号して杜口。京都町奉行所与力を経て40過ぎで目付を引退)が寛政年間にものした随筆「翁草」(全200巻!)には、夕暮の曲の作曲者がはっきりと書かれてあるそうです。曰く、とある秋の夕暮れ、内裏にて霊元帝、管弦にうち興ずるに、どこからともなく風に乗り「怨るが如く慕ふが如くただならぬ」竹の音。人を遣って吹き手を呼び寄せれば、ひとりの普化僧。いずれの曲かと問うに、「名のある曲にては候はず、何となく秋暮の物悲しきに感じ候て、時の調子をはからずもしらべ候のみに御座候」。大君大いに感じ入り、「今の一手に夕暮といふ勅銘を下さる」。僧の名は鈴木了仙。「正徳享保の始迄も在し尺八の妙手なりと承伝」。
このエピソード自体やそのディテールの真偽正否を論ずる教養を持ちませんが、霊元天皇の在位は1663~1687年、享保年間は1716年から始まります。そんな江戸中期のお話として。ちなみに、黒沢琴古は1710(宝永7)年生、1771(明和8)年没。鈴木了仙とヤヤカブリ。普化宗の門をくぐった琴古に伝わるまでの数十年の間に、夕暮の曲と、帝から褒美まで賜ったという了仙がどのような時を過ごしたのか、興味をそそられるところです。
曲は四段から構成され、三段までの暮れなずむ景色を写すような茫洋とした旋律とリフレイン、いよいよの落日にふと押し寄せる激情を表すような四段の高音(たかね)、そんな構成と言えるでしょうか。
ところで、冬のオリンピック。テレビでスノーボード競技を見ていた折、解説者がアスリートのトリック(技)を評するに「オシャレですねぇ」と、スポーツ実況では聞き慣れない褒め言葉を連発していたのが印象に残りました。速さ・長さ・高さなどの絶対値を追求したり、歴然たる勝敗を決するためのスポーツとは異なる、技とその美しさを競い合う競技ゆえの、そして、新興ジャンルならではの、これが「高次である」の表現かと。その今っぽさを面白く思うと同時に私は、「オシャレですねぇ」のスノボ的価値観と琴古流本曲との間に、一定の共通をも感じたのです。
たとえば明暗諸派の本曲は、伝わる寺や受け継ぐ吹き手に厳然たる「こう吹く」の決まりごとがあります。手(譜や吹奏法の指定)はもちろん、ノンビブラートの、虚吹の、すべてが決まっていて、得手勝手はおろか、個性や解釈の幅をも本来的に許さない。曲のイデア、つまり理想値・絶対値に限界まで近づけようとする、その姿勢・運動にこそ心動かすものがあるのだと観じます。翻って琴古流本曲は、もちろんほとんどのルーツを明暗本曲に持つのですが、黒沢琴古が収集・編集した時点で彼の手が大いに加わっていることは明らか。その後の琴古三代、宮地一閑、荒木古童、初代川瀬順輔ら偉大な先達を通過する間にどれだけの変化を経て今に至るのか、正直なところ想像もつきませんし、手の変遷、すなわち「この曲のこの部分の、いま行われている吹き方を始めたのは誰か」も判然としないところが多くあります。つまり、曲はある、さかのぼれば原典もあるが、曲のイデアは人それぞれ、で変転してきたのが琴古流なのだろうと。もちろん、一介の竹吹きが勝手なアレンジをひり出したところで一顧だにされるわけもなく、当代一流の限られた吹奏家のみがこれをおこなってきたわけですが、そのアレンジへの欲求の底に、スノボ的に言えば「このトリック、こうやったほうがオシャレじゃね?」の意図を感じとることは難しくありません。琴古流本曲の、ひとつのアイコン的な手「ツレ」の、各派の吹きぶりの違いなどはその象徴、各派渾身の「オシャレ」の表象ではないかと考えます。
琴古流本曲は、譜面上は大部分がいかにもの琴古的イディオムで構成され、また附点法を採用したことでテンポを内在する音楽となり(テンポ採用の度合いはそれこそ人それぞれですが)、一方で曲個別の解釈・演奏論はやや薄味に思えます。となれば「どれを聴いてもだいたい同じ」に陥りそうなところ、その危うさを救うのが各派名人のオシャレの感覚。慣習的にある程度の自由を利かせてよい表現の中で、聴き手の耳目を集めることをも意識したファッショナブルさの塩梅・レシピが、流行りのダイバーシティと聴く・吹く楽しみを支えているのではないかと思うのです。
私? 私はオシャレごころもアレンジするつもりもなく、師匠が自前の古着で縫ってくださるオートクチュールにどうにか出っ腹を収めようと悪戦苦闘の道半ばですが、それでも、先達から師へ継がれてきた琴古流ですから、私の意図や生来のダサさとは関係なく、吹奏の根はオシャレ、なはず。(後略。以上、有楽伯パンフレット原稿)
LX100 撥(バチ)を切り落とされた、淡路島・福良の手延べうどん。
というわけで、第14回有楽伯はつつがなく、まずは盛況裡に終了。お忙しいなかご来場くださった皆さま、大いに助太刀くださった賛助出演の皆さま、運営・進行を手伝ってくださった皆さま、ありがとうございました。次回は紀尾井小ホールでと、次期実行委員長の怪気炎。実現するにせよしないにせよ、そんな鬨の声をあげられる程度に、会としての有楽伯は育ってきたのかと感慨深く。
さて我が夕暮は、あとから録音を聴いて愕然の個所、また師匠からお叱りを受けた個所数々あれど、それらを縷々書き連ねては聴いてくださった皆さまに失礼。
「単純素朴の裏に巧緻を極める」。師匠の言葉を胸に刻み、また技と心と身体を鍛え、次のよりよき舞台に繋げたい。
パンフ原稿は、このような読みにくい長文をA4用紙1枚にゴマ粒ほどの文字で押し込んだため、「読む気がしない」とのご指摘もいただいたが、今どき曲のアウトラインを知りたいならグーグルさんに尋ねれば玉石混淆なれどいくらも出てくる。解説文よりも、奏者の立ち位置をこそ記すべきかと考えての。
そして、あまりにも字が小さくなることを避けて途中でよしたが、この稿にはまだ先がある。というより、ここから敷衍しての尺八一般論が本丸なのだが、長くなって仕方ないうえ、口はばったい事柄を迂回しながら書かなければならないので、回を改めて。
そうそう、アンケートに「スタイル入ってました」と書いてくれた人がいた。大げさに言えば、こういう承前の洒脱、すなわちオシャレが文化を育むのだと思う。