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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

音のアタマに「音頭」ではないイイ呼び名はないものか

しばらく前。またぞろのメリだのカリだので、国内メーカーの、新品なら「かなりいい」価格帯のヘッドホンがべらぼうに安く出ていたので、眉にツバつけつつもつい買ってしまった。で、届いてビックリ、キンキンワンワンと生硬もいいところ。なんと、まだ慣らしも済んでいない新品同様ではないか。まさか先代の持ち主は、この音を本領もしくは不良品のそれと解して安く出品したわけではあるまいが…。とまれ、しばらく鳴らしっぱなしにすべきところ、エイジングの間に音が変わっていくさまも聴いておきたいと意地汚く早々から使ううち、当然ながらどこが変わり目だったのかよく分からないまま気がつくと値段相応らしき「かなりいい」音に落ち着いてしまっていた。

それはともかく、ずうっと以前に iTunes に落としてあったお馴染みの歌謡曲なんかをこいつで久しぶりに聴くと面白くて、もちろんロスレスなどではなくバリバリのMP3音源なのだが、それでもベースやドラム、ストリングスの、特に音の立ち上がりの「人が手(や足)を動かして鳴らしている」リアルさが浮き上がるように聞こえてくる。一方でキーボードの音は、たしかに皮を一枚剥いだ如くフレッシュに聞こえはするものの、記憶を上書きするほどの新鮮な印象はない。これは、出だしから均質な音を響かせるシンセや電子ピアノの音の特性に由来するものかと素人考えしてみるが、ドンナモンダロカ。

で、続けて思い出す。師匠の曰く、音アタマを除いてしまった竹の単音は何の楽器の音だか判別できず、電子音と比べてさえさして選ぶところはないと。私はそういう実験を行ったことがまだないけれど、げにげに、さもありなん。アタリをつける/つけないにかかわらず、竹の音のアイデンティティはその大方が音アタマにある。そして、当然ながら奏者の個性はそこにこそ集中的に滲む。よってブーメランを覚悟で言えば、ここを鍛えずして竹を吹き、こいつが尺八の音でございとやるのはサギに近い。

ただ、そんな次元のアタリマエなど軽く飛び越えるのが名人であって、たとえば音アタマを除いた五郎先生の音と二代鈴慕先生の音なら、呂ロやヒのように特徴が出やすい音でなくとも素人さんでも聞き分けることができよう。いや待て、ユリがかかっていない個所から音を抜き取るイジワル問題なら素人にはさすがに難しいか? ちょっと話がズレた。大名人は音のアタマが大看板であるのみならず、そこから豊かに伸びていく音も個性の塊であると言いたかった。すなわち風の色。「である」は今や「であった」がより正しいかもしれないが、言わぬが花。精進。


K-5 先日「ポップ・アイ」という映画を観た。ほどよく佳作。

さても、ヘッドホンの音に慣れるにつれて困ったのは、カーオーディオの純正スピーカーからの音が耐えがたいほどひどいワレガネに聞こえるようになってしまったこと。こっちは用品店に行って、まともなメーカーのいちばん安いスピーカーに交換するだけで劇的に聴ける音になることは過去の経験で知っているのだが、いまだその時間を作れずにいる。とりま、少なくとも80年代までの歌謡曲はまだまだ人の手ざわりにあふれていた。歌以外のすべて、いやひょっとしたら歌でさえ机の上のみでカタをつけているかもしれない30年後の Perfume など聴いていると隔世の感にクラクラするが、私はソレ系も嫌いではなかったり。関東往復1000kmの退屈運転道中には、どっちも耳に海馬に刺激的でいい。邦楽など聴いた日にはすぐまぶたが下がってあの世行きだ…と思いつつ、たまに竹翁先生の本曲など大音量で聴いたりもするけれど。
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HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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