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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

続・きもちよく

某所にて、実に4カ月ぶりの三曲合奏。三つの楽器の着地点を、三者が全身を耳にして「ここ!」と突き、同時に再び跳躍し、それを続けて曲にしていく緊張、快楽。それを軽く懐かしいと感じなければならないことが悔しい。なんなら調弦のゆらぎに合わせようと手こずる感覚さえ、生の演奏でなければ味わえないものだ。今知る。いかにも合奏こそは貴い音楽の時間だった。

曲中、前項「気持ちよく」の抑制についてもさまざま心掛けたが、効果があったかどうか、にわかには判らない。ひとまず、開放的とは云えない空間だったこともあり音幅の最大値は10中の7に。旋律の展開と解決に心を砕いた。本当はもっと大きな単位で曲を捉え、そして最終的には曲まるごとを掌中に収めなければならないのだろう。最後の八寸を人前(奏者だけの場ではあるが)で吹くのはまだ二度目ということもあり、楽器もまだなにかと硬い。これから、ボチボチと。

さて、本曲において「気持ちよく」がどんな弊害をもたらしているかは、ここ数年の師匠の「メタファー」が厳しく、何遍も指摘している通りだ。もう詳らかには書かないが、音が終わるべきところ、あるいはピークを迎えるべきところを、音の「気持ちよさ」にかまけてオーバーランしては仕切り直す、伸び過ぎた音に見合うだけの間を取る、その繰り返しで曲が間延びしていく、琴古流ならではの拍節の美が失われていく。言わずもがな「曲を歌う」には遠く至らない。それを師匠は何度でも叱責し、私は何度でも治しかけてぶり返す。容態は、おそらく三曲合奏におけるキモチイイ病よりも重症。それでも改善していかねば。本曲は音出しパフォーマンスではない。題目。

師匠の教えを聞くのは当然として、テメエでもちったあ考えろ。私は誰かに、あるいは竹にそう言われているのだろう。


GM1

ネット際ギリギリにフワンと浮いた弱バックスピン性の球をスマッシュしようと全力で飛び込んでいったが間に合わず、低すぎる位置でラケットに当てた球はネットへボトリ。は、いいのだが、ふくらはぎにこむら返り間際のような違和感。糸くず程度の筋繊維が切れたのだろう。幸いその後に痛みはないが、稀勢の里のようにブチッといっても不思議ではなかった。

コロナ・パニック以降を生きていくにあたり、卓球の優先順位をずいぶんと下げた。今は「吹奏スペックを痩せさせないための楽しいエクササイズ」程度のところだ。全日本マスターズに一生進めなくても失うものはないが、スマッシュ失敗後に止まれず相手側コートまでドタタタと駆け込んでしまうような重たい身体ではまたぞろ深刻な故障をきたす可能性が高く、それでは竹にも障る。うーむ、この世で最も嫌いな運動だが…走るか。膝が壊れないような靴、持っていたっけかな。こちとら体重過多に加えて、左膝には人工軟骨が。そういえば、事故後の手術から15年以上ノーメンテで保っているのか、大した耐久性ではある。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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