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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

おいさら映え

しばらく以前、といってもふた月も前の話ではないが、やってもやってもそれ以上前に行けない感覚に陥り、実際、通信添削をお願いする師匠からも毎度似たようなお叱り、いやさ「メタファー」を頂戴することが続いた。以前に載せたとおり師匠のメタファーは微に入り細を穿つものであり、必ず本気で聴き込まなければ書いていただけないようなものだ。それをあたら無駄撃ちさせるの師匠不孝はいけないと、「代わり映え」が見えるまでは、などと口実をつけて録音をお送りするのを止めていた。

それが、前2項の「気持ちよく」のことどもと、腹式、胸から上の脱力などを纏めて練っているうち、にわかに「あれ? これは…」という、何かが通じる感覚が。以前師匠に言われた「聴く人のセンサーが働いていないところでいくら頑張っても意味がない」。私はその無意味をだいぶと頑張ってしまっていたのではないか。

そんなことを考えながら吹けば、いつものイモヅルで今まで無自覚でいた様々な瑕疵、悪癖も気になってくる。例えばその日一発目の音出し。必ずリから始めるのだが、その時ふと気づけば、五孔を打つと同時に私は反り返って吹き始めている。あれ、これ、アカンやつやん。そう思えば、ウヒの時も同じことをやってないか?反り返ったらメリに障る、脱力もアンブシュアも台無しになる。ずっと教わってきたことやないか…。

そんな調子で、たった数日練ってみた真虚霊を録音。熟れが足りないことは知りつつ、遠く九十九里に送った、といってもファイル便なので一瞬だが。そうすると、ダメ出しの先からもう素敵なお返事をいただいてしまう。ひさしぶる(タイプミスではない)に引用したい。


K-5Ⅱs チェンナイの恩人・モヒットさんによれば、タミルナードゥ州はいまもロックダウン中であるそうだ。インド全土では2万5000人/日ほどの感染者が出ている。ううむ。

そりゃ、楽しみ。

意識的に意図的に
どう演奏する、

洋楽のピアニストが新しい曲に挑戦する前に、譜を見ながら、フレーズを弾きながら、
歌いながら、
これがテーマ、とか、
ここは、美しいメロデー、
情景が浮かぶ、作曲者の気持ちは、こうなんだろう、
このフレーズは、2回目だから、こう弾こう、とか、
この曲のピークはここ、
だから、こう歌う!とか、

することを、

「譜読み」と言うそうな。

成程、と思った次第。

外曲は、これに似たことは、
あるべきだと思えるし、

本曲のことにして、これほどのことが、できるか、して良いかは、知らず。

然りとて、ロボットみたいに、型通り、同じ節回しを、全く同じに吹くのは、凡であろう。

真虚霊という器に何を盛るかは、本人次第。

意識的に意図的に、吹かなければ、単なる虎落笛。

枝葉のことにして、同じ節回しを、判で押したように吹いては、曲がない。

日本の美意識は細部に宿る。
小さな違いに大きな違いを込めて表現する。琴古流のあるかもしれないワクの中に、込められるだけのものを込める。

何を盛るか、盛ったものがなんであるのか、願わくは、聴き手に伝わって欲しい。
一方、聞き手の側にたてば、
同じ音楽を聴いて、百人百様の感じ方になるのも道理。

しかし、名人、達人のワザは
百人が百人、共通の感慨を抱くに違いない何かを音に託している、筈だ。

先ず、既に、認知されている、評価されている
「風の色」をさらに磨く。

大切に、強く、まるく、柔らかに、、、、、、。

そこに何を盛るか?
既に、その境地に踏み込んでいる筈の。

茫漠としたお題ながら。
ちょいと、揺すってみました。

後程、楽しみに聴かせてもらいます。

疫病蔓延より瀕死の経済を救う、政治。

はて面妖な。
(引用終)

翌日、感想をいただく。もちろん「ここを直せ」をたくさんいただいたが、ほとんど初めて、ダメ出しよりOK出しの成分が強いように思われたので、オノレを鼓舞するため勝手に値切って感想と書く。詳細はここには転載しない。開かない扉がスッと小さく開く刹那のときめきを、久方ぶりに思い出したという話。

先日来の「耳の肥えた素人」氏は「よくなったけど、こなれてない」と。全くその通り。この人は私の長らくの七転八倒、その大きな文脈は知らず、直近の私の音をしか聴いてない。そうであればこそ、たったいま感じたところは(師匠のメタファーを補完する意味で)私に貴い。

これから速醸に入る。生もとでのんびりやる時間は、残念ながらもうない。それにしても、酒へんに元の「もと」、パソコンで使えるようにならないものか。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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