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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

すべてが一気に

記事を探すのは面倒なのでやらないが、何年か前にここで「オノレが正しい腹式呼吸をできているかどうか、自分では判断がつかない」というようなことを書いた記憶がある。そのことについての、数年後の私の所感。

まず、腹式呼吸ができていないとどうなるか。音を変化させるために、腹圧以外の「パーツを使った調整」が必要になる。そのパーツとは主に、気管とアンブシュアであることだろう。

このうち気管は、少なくとも私が習ったメソッドにおいて「調整のために使ってもいいパーツ」だ。メリ時にアゴを後方に引いて気管にクランクを生じさせ、息の流量とスピードを落とすことは許されている。対してアンブシュアは、言うまでもなく「調整のために使ってはならないパーツ」だ。いったん変化させたアンブシュアは瞬時の原状回復が難しいし、この場合の「調整」は多くの場合、息のノズルを狭めることであるため、音が狭くキツくなり、歌口側の息受けの柔軟性も損なわれる。

タブーであるこのアンブシュアによる音の調整を繰り返していると、音はおのずと狭くなり、しまいには小さくなる。曲の前半と後半で音量に差が出てしまう、もしくは、後半に行くと息ノイズが増えるのは、アンブシュア頼みの音の調整をしていることが原因であることが多いのではと推測する。

そう。腹式呼吸は「音味と音量が終始安定している『なら』たぶんできている」ものなのだと、現時点の私は暫定的に考える。ついでにいうと、連続的な音についてのみならず、アタリやムラ息、吹き終わりのデクレッシェンド、ハズミといった音の始まりと終わりをかたちづくる奏法いずれにおいても、腹式を実践する(=アンブシュアを変化させない)ことは当然必須となるはずだ。腹式呼吸とはかかるアクションであるという理屈は、今もって私には言えない。吹き終えて「あ、今だいたいできてたみたい」としか言えない私は、さてヒトサマに腹式を教えなければとなった時になんとしようか。


S5Ⅱ トランジットがてら1泊した初の香港。本土同様、パワーの要りそうな街。

竹に触れてからこれまでに、例えば四孔アケからのツレを何度アタってきたか数えられるものではないが、本番で会心のツレを放てる確率は、まァ数%から、超絶好調の日で20%ほどか。こんな私が腹式呼吸をマスターしているなどということはあり得ないし、仮にマスターできれば、その瞬間にオノレの音についての悩みはほぼすべて消えてなくなるだろう。

すべての技は互いに連関している。アレができないということは、できていると思っているコレにも必ず悪影響を与えている。技は、あるピンポイントのタイミングで核反応のように「すべてが」「一気に」完成を見るのだろうと、やはり仮に考えているのが今の私だ。軽々しく完成などとナメたことを言うようだが、技が完成しない限りそれを使っての音楽もへったくれもないのだから、目指すほかはない。

一管の笛ふところに歩み来る人は嵐を抱くごとくに(北沢郁子)

しばらく以前に、師匠に教えていただいた一首。歌集買わにゃ。

歌やんで跡はどうとも白糸の切れる切れぬは兼合の藝

このオツな一首は、上の歌と同時にページの写真が送られてきた、石川 淳がものしたと思われる随筆の末尾に置かれた歌。夷斎詠かと思いきや、AI先生によれば「明治・大正期の新派劇の名優、初代 喜多村緑郎 が、泉鏡花の名作『滝の白糸』を演じる際の極意を説いたものです」だと。ええ、ホンマか? 念のためもう一度検索してみると「歌(あるいは、その場の盛り上がり、取り決め)が終わってしまえば、その後のこと(結果)はどうなろうとかまわない。白糸(恋の絆、あるいは結末の合図)が切れるか切れないかは、まさに絶妙な兼ね合い(駆け引き、タイミング)の技(芸)次第である」という意味合いであるとの由。ははは、AIバッカでェ。

この歌を導く随筆結びの段落は以下の通り。

 arsとはわざをいふか。わざは變りながらつづいてゆくが、人間は變りやうもなく死んでゆく。そのやうにきこえる。一代かぎり、人間といつしよに、わざも一度は死ぬが、そのわざに後世の發明が活を入れて、これがまたおほきに生きのびるのか。死んだ人間はそれつきり。他のたれかが死ぬのではなくて、當人のおのれが死ぬ。いのちはみじかし。これは譬ではない。

厳しくていい。「發明」もせぬままただ「生きのびる」ことに汲々とする手合いも人間らしいとは思うが、一匹狼とは名ばかり、野良犬よろしき私などは、気ままに「活」を見つけつつ「それつきり」へ歩いていく。今日は新娘道成寺を独習した。暗譜にだいぶ虫喰いができている。

<追記>
さらにキーワードを変えながら検索すると、上記「滝の白糸」における水芸人・白糸の決め台詞に「歌やんで跡はどうともなりやがれ」がある、という託宣が出てきた。こちらはソレっぽいし、その流行歌(?)を夷斎先生がもじってしゃれた芸道の歌に仕立てた、というのは、かなりありそうなセンだ。にしても、嘘八百を「これが答えです」と提示しておいて何の責任も取らないとは、AI稼業は気楽なものじゃえ。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
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