尺八は音が命であり、それ以外のあらゆるゴタクをありがたそうに聞かせたり見せたりする手合いは、少なくとも音では勝負したくない、もしくは音だけでの勝負を避けたいのだなと理解している。よって尺八絡みの動画は、画ヅラが華やかになるほど、文字や声が大きくなるほどに、奏者としての弱みをさらしているように私には見える。
尺八に限った話ではないが、なぜか尺八に多い話ではある。くだらないものが無くなればヨノナカの見晴らしはずいぶんよくなるのだろうけれど、清き流れに棲みかねる魚もまた多い。
K-1 Ⅱ
悪くなる目に耐えかねて、とうとう舞台用のメガネを作った。床に置いた譜面にガキピンがきて、ゴマ点がひとつなのかふたつなのか、ツがメリなのか中メリなのか、とっさに迷うことは減った。だがこのメガネ、来年も使えるだろうか。それほどに視力の悪化は高速で進んでいく。見晴らしがよくなっても見えるものは限られるという話だ。