気づけば松の内もギリギリ。できなかったことはマイペンライ。振り返らず過剰に反省せず、前を向いていこう…。
年末年始をバンコクで過ごし、元日に妻がお世話になっているカオサンの良心的な日本茶カフェ・イノメで竹一本ライブを行い、4日にアユタヤへ日帰りで出かけたほかはほぼ妻のアジトでゴロゴロ。とにかく秋から年末へと二次関数的に加速していったギュウギュウスケジュールの疲れをとりたかった。が、あんまりとれなかったな…。
S5Ⅱ ワット・マハタートの有名な仏頭。見下ろす視点からの撮影はNG。
チャンスがあれば献奏してみるかとアユタヤには竹を持参したが、最もメジャーなワット・マハタートは有料の史跡公園として管理が行き届いており、無断パフォーマンスはご法度(ちょうど役者ありの動画をアポなしで撮ろうとしたらしき一団が受付で怒られていた)。ので、その後訪ねた無料かつ管理者がいないワット・プラガームで吹いてみた。バンコクの外真っ白中キラキラ寺院では不思議と竹を吹く気にならないのだが、古色豊かなアユタヤは、寺の多くが現役ではない “跡” であるためか、昔の光今いずこ、竹と馴染む空気なきにしもあらず。
一二三鉢返調 夕刻とて羽虫にたかられ、内心悶絶しつつ吹いています。
ワット・ロカヤスターラームの寝釈迦の前で雲井獅子も吹いたが、こちらはやや落ち着かない環境だったこともあり明らかにデキが悪い。それでも聴いてみたいというご奇特な向きは、
チャンネルのほうからどうぞ。
すでにやんごとない方面を含めいくつか感想をいただいていており、それらを揉んでみて改めて思うのは、私は喩えるなら「よい備前焼を作りたい」と思っている備前の陶人であり、「よい焼物を作りたい」とのみ考えている多才の陶芸家とは、根っこへさかのぼっていくとどこかで折り合えないところが出てくるのだな、ということだ。別にそれはイケナイことではないだろう。違ってこそ楽しき世界。「備前にこだわらず、これも試しなさい」という親切なお誘いは、ありがとうと笑ってお辞儀して過ごせばいい。
好きなぐい呑み集めも、その考えとリンクさせれば「あれもほしい、これもほしい」が(入手後の「あれ、買ったはいいけどぜんぜん使わないなコレ」という後悔も含め)おのずとおさまってくる。あれもこれもの作家をまずは除けばいいのだ。コケの一念を通すウェイ・オブ・ライフが、私にはフィットする。今年もますますフレキシビリティを捨てつつ、波風は立たせない頑固者に近づいていこう。
本日〆切。西へひょうと放った音の鏃に、この思いがちっとは滲んでいればいいが。