昨年、名刺のデザインを変更し、肩書きを「もの書き・琴古流尺八」として、万年筆と尺八のイラストを新たに添えた。これをもの書き方面の現場でも差し出すので「ほう、尺八。プロなんですか?」と尋ねられることが少し増えた。だいたいの場合「尺八では一銭も稼いでませんが、本業のひとつです」と答えて、先方はケムに巻かれたような顔になり、「それはそうと今日の取材の段取りですが…」と話は流れていく。こちらも口上の意図を理解してもらおうとはさらさら考えていないので、これでいい。名刺の端に小さくこのブログのアドレスのみ載せてあるのを、あとから100人200人にひとり、おやと気にかけてくれれば御の字。
プロとはなんだろう。職業的、という直訳をよりどころにするなら、それで稼いでいればプロ、ということになる。日々の現場で私が最も多く接するプロはカメラマンの皆さんで、ほぼ例外なく一流の機材と、素人が絶対にマネのできない豊かな表現テクニックやアイデアの引き出し、ほかいい写真を撮るためのあらゆるノウハウを持っている。なんなら、クルマの運転が巧い、時間に正確、雑談が面白い、といった撮影と関係なさそうな美点だって、いい写真のためにしばしば必要な条件だ。ただ、そうしたカメラマンとしての実力は、たとえばクライアントに請われての撮影仕事を受けず、芸術家としての活動しかしていないカメラマンだって(必ずとは言えないが)備えているだろう。
つまり、少なくともカメラマンというジャンルにおいては、ある人が持っているカメラマンとしての資質の多寡にかかわらず、彼がそのタレントを他者からの要望に「応じて」提供し、報酬を得ているなら、そしてその収入が彼の生活の基盤となっているなら、そのある人はプロであると云える…。そんなところだろうか。
余談ながら、「応じて」といっても、現場で「AとB両方とも画角に入れるんは無理やで」「その画で全面引ける?」などと多少ゴタゴタすることはあり、「こう撮ったほうが絶対エエのに」などとブーブー言うカメラマン氏もひとりやふたりではなく、そうした撮り手の感覚と、あらまほしき写真・誌面の仕上がりとをすり合わせていく作業は編集仕事の一つの醍醐味でもあるわけで。だからカメラマン諸氏も、いくらブーたれたとて「きみとはやっとれんわ」と帰ってしまうようなことはない。さても、需要に「応じた」タレントの「販売」がプロの最低限の条件ではあろう。
よって当然のことながら、上れる舞台にのみ乗っかって好きな曲のみを吹く、なおかつ収支など言わずもがな出ていく一方の私は尺八のプロではない。だからといって…の、そのあとは「
ものをいうのはくちではない」と師匠の言の葉。プロじゃないならアマチュアですか、と来たらばあくまで心中「聴いてから言(ゆ)いーや」と返してしまう難しいお年頃のオッサンではある。
そう。プロとはなんだっけ、と改めて考える機会が直近に二度ほどあった。ひとつは「これでプロだって?」と、とある場所で思ったこと。もうひとつは言わずもがな、加藤登紀子さんの舞台を観たことだ。前者は今やもうどうでもいい。プロもピンキリであることくらい、ヨノナカのおおかた誰もが知っている。後者においては、おトキさんがあまりにも幸せそうに歌うので、かくも楽しげに仕事をし、大勢の人々から支持を得ての幸福な共存共栄を、ただ簡単に「プロの仕事」と呼んでいいのだろうかと逆に悩ましくなったのだ。そう、ピンキリ。ピンのプロは、仕事とやりたいことの区別さえおぼろでありながら、なお圧倒的な仕事の質でクライアントたちをメロメロにし、さらなる顧客を自動的に開拓する。もはやその人であることが仕事になるような、それこそが最高のプロの仕事だろう。その仕事はあるいは、仕事率においても難度においても、永久機関や錬金術に近いものかもしれない。
LX100 四条烏丸、洋食『亜樹』のショーウィンドウ。なんというやっつけ。だがそれがいい。詳しくは発売中の「あまから手帖」12月号、特集「今日の京都」にて。
男子ワールドカップ。復調・張本の準優勝(しかも馬龍を再び破っての)はめでたいことだった。が、個人的なトピックはそこから少しさかのぼっての準々決勝、
張本vs丹羽戦だ。日本男子の試合において、過去あれほど両者ともライジングしか打たない「速い」試合はなかったろう。ヘタをすれば世界においても史上最速の一戦であったかもしれない。あのレブリミット卓球で7ゲームも戦って、よく脳ミソが焼きつかないものだ。凄い。