加藤登紀子さんの「ほろ酔いコンサート」を聴きに梅田まで。私が小学生の時分、母がよくソニーのモノラルラジカセで聴いていたものだが、40年ばかり経って生身のおトキさんに見えようとは思わなかった。その母方の親戚が、登紀子さんとはかねてから家族ぐるみのおつきあいという間柄。関西の「ほろ酔い」には必ず駆けつけるという話で、「毎年12月にあるけど、次はあなたも来る?」といったなりゆき。ありがたくチケットを手配してもらったのだった。
母のお下がりのベスト盤しか持っていなかった私であるから、知っている曲、知らない曲、半々程度。しかし途中からは、あ、知らない曲だ、ということが全く気にならなくなっていった。とにかく、声。あの声。マイク越しだろうとなんだろうと、聴く人の心を優しく鷲づかみにするような、豪快繊細、雄々しくたおやか、千変万化の声。そのダイナミズムに、こちらはただ2時間、酔うていればよかった。
しばらく昔、矢野顕子やUAのコンサートに行ったときは、あまりにも巧すぎる歌や尽きせぬ音楽性にため息をつくばかりで、不思議と暗い気分にさえ誘われた記憶があるのだけど、昨日はひたすら「歌とは、舞台とは、芸とはこれか」と、持続的な法悦に包まれて。いったい何が違ったのだろう。開演前にロビーで振る舞われた大関樽酒のせいとも思えないが。
とまれ、素材という盤石の核があれば、仕立てはいかようにも。ニューミュージックを引き合いに似たようなことをいつぞや書いた気もするが、やはりそうだと昨日も感じた。旨い魚は、よほどひどい鍋釜庖丁を使わない限り旨いまま。とれピチでも、寝かせても旨い。なんならサンマのなれ寿司(30年もの)の如くドロドロのペーストとなり、生サンマには望むべくもない酸味と旨みと芳香を備えるような熟成も往々にして。ええと、おトキさんは、13年前に亡くなった親父の1コ下か。なんとも驚異的な長期熟成を遂げておられることだ。自分の30年後をおそるおそる想像するうえで、彼我の才能・努力の桁が違うことは措いて、大いに心強い。
物販で購入し、閉幕後の行列に並んでサインをいただいたCD5枚組の「超録 加藤登紀子ほろ酔いコンサート 20世紀編」。今日の余韻に浸りつつ過去の音源も温めてオノレの「歌い方」の隠し味くらいにはしないと、あの素晴らしい時間を授かった甲斐がない(もちろんカラオケの話ではなく)。そして、あんな風に鷲づかむ歌を地歌でも聴きたい。当たり前だが、地歌もまた歌だ。日本人が古典文学・芸能の素養や感覚をほぼすっかり無くしてしまったことが地歌衰退の大きな原因であることは明らかだが、いくらかでも陣地を回復するためには、例えば日本人に古典を今の10倍読ませる・観させるための運動よりも、至高・圧倒の声を持つ歌い手をひとり用意することの方がよほど有益で、かつ近道だろう。ただし現状を鑑みるに、そのたったひとりの現出を膳立てすることすら決して簡単ではないが。なぜもっと歌を体系立てて教え鍛えようとしないのか、と、その先はイワハナ。
ところで、サインに加え柔らかく肌理濃やかな手で握手までしてもらった加藤登紀子さんをもはや呼び捨てになどできないのは無論だが、この駄文が報道でも論文でもない以上、今のところ「遠いところにいる現役・有名アーティスト」たる矢野顕子だってUAだって、本当は敬称を省くべきではないのだろう。存命なら敬称あり・死後は略、といったぼんやりマナーもヨノナカにはあるが、知り合いでもない人をさん付けするのはなれなれしいという感覚もあり…どうしたもんだろうか。

LX100 ビルの谷間、お初天神あたりにて。
賢順賞の結果を、盟友・川原信之くん(ここは知り合いなので当然くん付けだ)経由で知る。おお、まだ二度ほどベロベロになるまで呑んだ程度の仲だが、あの人が。めでたい、そして奮える。川原くん自身も、3日後の紀尾井小ホール「
第34回 三曲奨励会」に向けて大いに奮い立っているはず。残念ながら私は行けないが、素晴らしい御山獅子になることはもう決まっている。