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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

竹笛はなぜ

言語を跨ぐってのはそりゃたいへんなことで、アメリカ人留学生・ザックくんとのレッスン時間は「あー、脳ミソのふだん使わないとこを今使ってるわー」という感覚の連続だ。たとえば琴古譜の附点法、竹吹きのアナタは外国人に明快に説明できますか? 込み入った話でなければ日本語をそこそこ聞けて喋れる、そんな彼が相手でなかったれば、私が外国人に尺八をコーチするなんてほぼ不可能なことであったろう。だが、いちばんの困難はそこではなかった。

彼が目下苦戦している甲と呂の吹き分け、特に、どう吹いたら甲が出せるのかということに対して、明確な「こうすればエエよ」を示せないこと、これが私を(そして彼を)苦しめている。「呂と甲の吹き方はどう違いますか」と問われて、えーと。「ボー(呂)、ポー(甲)、ボー(呂)」と吹いてみる。が、アンブシュア・口中・喉の状態などなど、何がどう違うから呂と甲を吹き分けられているのか、自分では全く、全く分からない。ええ、どこか違うのか、これ。

「たぶんね、甲の時は唇のノズル部分の開口面積を気持ち狭めるんだと思うよ」と、自分で「やっている」と確信できていないことを何とか日本語と英単語とイラストを駆使して伝えるも、あまり効果がない。じゃあどうする、となると、ハテ…。まあ私、師範どころか準師範どころか奥伝どころか中伝の資格も取っていないからなあ。吹いている人に「こうしたらもっと良くなる」はいくらでも言えるけれど、吹けない初心者を吹けるようにするメソッドはまた別物。少なくとも私は、それをわずかしか持っていない。

分からない弟子は師匠に尋ねるしかないのだ。「お恥ずかしくもカクカクの次第で…」とご意見を伺うと、さすが私を教えた師匠、できない人間の扱いには慣れている。優先順位も明らかに、三つも四つも「ここをこうすれば」を教えてくださるのだ。うち一つは、「言われてから甲と呂を注意深く切り替えてみれば、かすかにだけど私、たしかにやっとるわ」なこと。そう、「やる/やらない」で確かにスイッチのON/OFFが切り替わるのだけど、さすがに30年ばかり吹いているとONもOFFも無意識のうちにギリギリのところを狙っていて(志那虎の “ゆらりディフェンス” のイメージ)、だから自己観察をしてさえ、フィジカルにはほとんど差異が感じられない、ということになるのだろう。

四次元ポケットから出していただいた教授アンチョコ、昨日レッスンを受けに来たザックくんにさっそく試してみたのだが…正直、劇的に効いた!とはならなかった。うーん、あとは…あ!そうそう、と吹奏時の舌の位置なども矯正してみた。のだが、うーん。でもいいさ、現段階で呂はワレガネのような轟音を出せているのだ。じき甲も出て、そしたら爆音の尺八フォリナーとして有名になるかもしれない。それに、前進はしている。先週ほとんど鳴らせていなかった音も、昨日は打率がだいぶ上がっていて、そろそろの気配は充分に。帰国までに、アメリカでウケそうな曲の一つくらい仕込んであげたいところだが、早くも残りひと月半。間に合うか。

イヤ本当に、教えるってたいへんだ。コーチや先生なんてやるもんじゃない。


K-5Ⅱs

ときに「RRR」。私は映画館には年に1回ほどしか行かない全くの映画知らずだが、生まれて初めて「公開中に二度観に行った」映画となったのがこの作品だ。3時間、タバコを吸いたいと思わなかったし、しかし、終わって出てきてからあのハッピーなナートゥを反芻しながら吸うタバコは猛烈に旨かった。二度ともだ。一度目に熱心に誘ってくれた義兄には大いに感謝している。ちなみに、私の一度目は、彼の三度目だった。どんだけー。
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HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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