今年もチケットが届いた。初夏は異種格闘技トーナメントの季節。4カ月後に向かうは、東京ドームの地下6階…じゃかなった、東京とは逆方向に750kmばかり進んだところの闘技場。得物はヒルカラ。四度目の正直。さて。
先日のめでたくもない誕生日は、オークラ千葉ホテルの広間で竹を吹いた。お客さんは8人だったが、吹いていてもはっきり分かるほど息を詰めて聴いてくださり、吹いた甲斐があったと嬉しくなるような “聴きっぷり” だった。人を束ねる人、人を助ける人、大きなものを作る人は、馴染みのない、もしくは薄い音楽を聴くにもかくの如しかと背筋が伸びたのであった。
LX100 千葉で撮った写真はこの1カットのみ。ボンちゃん、逞しくなったのう。
例によって、泥縄で綯うた資料を載っけておこう。
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「 邦楽器の生音(なまおと)に触れる 」
尺八:河宮拓郎 / 三絃・箏:阿部勇介
「みみより会」にて、何らかのテーマ性のある邦楽演奏を1時間ほどで、というお話をいただいて、プログラム構成を含めさまざま考えてみました。そして、この会におけるテーマは「邦楽の生音に触れる」しかないという結論にたどり着いたのですが、その行程をしゃべっていると大きく時間を喰ってしまいますので、みなさま、どうぞ曲の合間にお読みください。プログラムはあくまで演奏中心、「生音に触れる」時間を少しでも多く作れるよう、曲解説も控えめに進めていきたいと考えております。
伝統芸能を「直接」鑑賞したことがある人の割合は、令和2年=2020年で1.6%、という文化庁調のデータがあります。これはタイミング的にコロナ禍による大きな影響を受けての結果であるとしても、平成21年=2009年以降は、1年に1度以上伝統芸能を鑑賞した人の割合は5%前後にとどまっています。
しかも、この調査における伝統芸能とは、「歌舞伎、能・狂言、人形浄瑠璃、琴、三味線、尺八、雅楽、声明など」と指すところが広く、であれば、今日この会場に持ち込んでいる邦楽器「三絃(三味線)、箏、尺八」、つまり、日本の伝統芸能のうちの邦楽と呼ばれるジャンル、さらにその中の、三絃、箏、尺八をメインとする純邦楽と呼ばれる狭いジャンルを直接鑑賞した人の割合は(上記各芸能ジャンルの人気の度合いからすれば)1%以下と見てもそう外れてはいないはずです。
一方、クラシック音楽については、平成28年=2016年の総務省「社会生活基本調査」によれば、9%弱。これも「多い」とは言いがたい数ですが、同年の伝統芸能直接鑑賞者の割合である3.9%の倍以上、純邦楽のそれ(憶測値)の約10倍です。
テレビでクラシック演奏を見聞きする場合、みなさんは、テレビのスピーカーから聞こえてくる小さな音を「これこそがクラシックのリアルな音だ」とは思わないでしょう。コンサートホールで聴くクラシックの演奏は、生音なのだから当たり前ですが、圧倒的なボリュームとダイナミックレンジと立体的なリアリティを備えています。が、テレビから聞こえるのは、音響機器を通して出力された、生音に比べれば「ぺっちゃんこ」で「ペラペラ」な音。それでも、ホールで何度かでも生演奏を聴いた経験があれば、「このぺっちゃんこでペラペラの音は、ホールだとこんなふうに響いているはずだ」と、ある程度の“脳内補正”が可能でありましょう。
その補正は、邦楽、すなわち「生音を年に1度以上聴く人が1%もいない音楽」においても可能でしょうか。たとえば、宮城道雄の「春の海」演奏の模様がお正月のEテレで放送されていたとして、紋付袴姿の尺八奏者が「ヒョロ~」とおなじみの出だしの旋律を吹いている。たまさかそれを見て聴いた人が、「ああ、この演奏の尺八はテレビでこんな音か。ということは、実際の生音はあんな感じなんだろうな」と推測・判断することは可能であると言えるでしょうか。まして、その尺八奏者の音が「他の尺八奏者とどのように“同じ”で、どのように“違う”か」までを理解することは…。
邦楽器で演奏される音楽においては、一般に早弾きは重視されません。なによりも一音の音色(あるいは歌声)、次いで間やノリ(グルーヴ)を重んじてきた音楽や楽器ですから、早弾きを志向した楽器構造の変化・変容もほぼないまま現代に伝わっているわけです(津軽三味線などは速い方ですが、それでもクラシックの超絶技巧系に比べればスローモーの部類でしょう)。「手」よりも「音」が大事な邦楽器の、その生音が、人々の記憶の中にあまりにも小さく貧しい容量をしか占めていない。私が考える「邦楽の最重要課題」はこれです。
ですから、みなさまの前で演奏を披露できるという有り難い機会をいただいた私が行うべきことは、ともかくも生音を聴いていただくことです。たとえば、邦楽に心得のある人が「オッ」と思いそうな、凝ったテーマ立てなどは二の次でよい…と言っては少々乱暴ですが。音楽を嗜む方ならずとも、生音と、機材を通した音とは全くの別物であることはよくご存知でしょう。演奏者は常に生音を聴いてほしいと願っており、とりわけ邦楽の演奏者は、音にのせる微細なニュアンスやトーン(音味(ねあじ)と呼んだりします)を磨くことに心血を注いでいます。なんでしたら、1時間吹きっぱなし・弾きっぱなしこそ望むところであるわけです。
と、このような思量により、「いわゆるテーマ」による音楽の縛りは設けず、ただただ邦楽器の音を聴いていただいてそれを記憶に刻んでいただく。その記憶が、次にテレビで三絃・箏・尺八の音を聴くとき、あるいは演奏会で誰かの邦楽器の生音を聴くとき、「なるほど、これはあの時と比べると…」の基準点になってくれる。そこから邦楽が「分かる」という状態が始まりうる、と考える次第です。
生音を聴いていただけるなら曲は駄曲でもよい、などということはもちろんありません。本日演奏します「春の海」「一二三鉢返調」「六段の調」「夕顔」は、いずれも「基本・根本・名曲・難曲」の条件を高度に満たす、言葉にするとちょっと安っぽくなりますが、“珠玉の邦楽” と胸を張れるラインナップです。それでも、この曲はこういう謂れで、こんな技巧が凝らされていて…などという解説は、少なくとも本日の会ではそう重要とは思えません。文献からの受け売りプラスα程度の解説を添えますが、それはご帰宅後にお読みいただければ充分であり、この場では、生演奏でなければ得られないさまざまな感覚・官能を楽しみつつ「直接鑑賞」していただければ幸いです。
河宮拓郎
<曲目解説>
1.春の海 宮城道雄 作曲
宮城道雄の代表作で有り、大正以降の新邦楽中の最高傑作である。昭和4(1929)年の作品。勅題の<海辺巌(かいへんいわお)>にちなんでつくられたもので、以前に瀬戸内海を船で旅したときの印象を思い出し、付添いの者が「遠くの島に桃の花が美しく咲いている」と話していたのがヒントになっている。それに波の音・鳥の声・漁師の舟唄などを素材にして標題楽としてまとめられた。盲人の作曲ながら色彩感に溢れた曲。箏と尺八の二重奏曲であるが、昭和7年に来日したフランスのルネ・シュメーが、尺八の部分をヴァイオリンに編曲し、宮城の箏でレコードに吹き込んだのがベストセラーとなり、《春の海》の名を一躍有名にした。(「邦楽百科辞典」より)
もう100年近く昔の作曲ですが、邦楽においては、この頃の曲は今でも「新曲」と呼ばれます。地歌や箏曲のほとんどは江戸期に作られたものですから、明治以降の作品はみな「新しい」のです。印象的な箏の前奏、尺八の旋律とも明快に描写的で非常に聴きやすい大名曲ですが、演奏は箏・尺八とも非常に難しく、舞台の一発勝負でこの曲をノーミス演奏することは至難と言っていいでしょう(しかも、誰もが知る曲だけに、ミスをすればすぐに悟られます)。新曲に限らず邦楽を代表する曲のひとつであり、しかも箏と尺八のみのミニマルな合奏形態ですから “使い勝手” もいいのですが、舞台にかけるには勇気と修練が必要な曲であります。
2.琴古流本曲 一二三鉢返調(ひふみはちがえしのしらべ)
「一二三の調」と「鉢返」との二曲を合せた曲である。元来「調」というのは楽器を手にして音を調べ心身を調えるためのもので、独立した曲と異なり、起伏も少なく地味である場合が多い。この「一二三の調」もそうであり、そこで高音(たかね)で始まる「鉢返」を挿み「一二三鉢返」として定着しているのであろう。尚「鉢返」というのは、むかし虚無僧が托鉢に出て布施を得た時、返礼の挨拶として吹奏したのである。曲は(一)一二三調の前半、(二)鉢返、(三)一二三調の後半という三部分よりなるが、(二)と(三)との間に荒木竹翁(二世荒木古童。文政6年~明治41年)の入手(いれて)を加える事がある。
この曲はもともと琴古流本曲には数えられなかったが、今日では代表的な曲目となったばかりか、同流の必修曲目である。(「山口五郎琴古流尺八本曲全集」解説より)
「琴古流」は、江戸期の名人虚無僧・黒沢琴古に始まり、時間の経過とともにその演奏スタイルを変化させながら現代にまで続いてきた尺八のいち流派、とのみご記憶ください。琴古流尺八における「本曲」は、虚無僧曲、もしくはそれを黒沢琴古が編集・改変した尺八のための曲群です。禅宗の一派・普化(ふけ)宗においては、本曲を吹くことが禅行の代わりであった、という尺八界の常識のような通説がありますが、実際のところ、本曲を吹くという行がどういう意味合いを帯びていたのか、私にはしかとは分かりません。ただ、琴古流本曲を含む虚無僧曲系の本曲に、一定の思索的・内省的な「禅味(ぜんみ)」があることは間違いのないところでしょう。「一二三鉢返調」は、この琴古流本曲の最初に教わる曲。技巧的にはごくシンプルですが、上記解説のような構成美を持ち、「春の海」同様、知っている人が多い曲ですので、演奏には高い完成度が求められるという、なかなかキビシイ曲なのです。
3.六段の調 八橋検校 作曲
箏曲段物の形式に従って作曲され、六つの段からなり、各段は百四拍(五十二拍子、初段のみ四拍〔二拍子〕多く、これを<換頭(かんどう)>という)に統一され、テンポはだんだん速くなるが、曲尾では遅くなる。箏独奏のための絶対音楽。この曲は初段の旋律が段を追うにつれて少しずつ変化され、各段の終りの音型はほぼ同一である。箏曲段物のうちで最も有名であり、箏曲のなかでも《千鳥の曲》とともに有名な曲である。(「邦楽百科辞典」より)
「春の海」「千鳥の曲」と並び、お正月のテレビや街頭で耳にすることが多い曲です。この曲もまた「○○に始まり、○○に終わる」という伝の、一生をかけてきわめるべき基本の曲、すなわち難曲であり、たしかにやりこむほどに新たな美しさや面白さが見えてくる永遠のスルメ曲です。本日は、一・三・五の奇数段を箏独奏で、二・四・六の偶数段を箏と尺八の合奏でお送りし、段を追うごとに変化していく旋律とノリ、ムードを感じていただければ幸甚です。八橋検校の作品はどれも箏曲の代表曲と呼ぶにふさわしいものですが、この「六段の調」と、もう一つを挙げるなら「みだれ(乱輪舌)」がとにかく素晴らしい曲です。これは尺八なしの箏独奏で聴かれることをお薦めします。
★本番は予定を変更し、初段を箏のみで、二段以降は尺八入りで演奏しました。
4.夕顔 菊岡検校 作曲
(歌詞)
(前歌)住むは誰 訪ひてやみんと たそがれに 寄する車の音連れも 絶えて床しき中垣の 隙間もとめて垣間見や かざす扇にたきしめし 空だきものの ほのぼのと 主は白露光を添へて (※ここで、器楽のみの技巧パート「手事(てごと)」が挟まる) (後歌)いとど栄えある夕顔の 花に結びし 仮寝の夢も 覚めて身にしむ夜半の風
作曲は文化~天保時代の(19世紀前半)の名作曲家菊岡検校。箏手付けは八重崎検校で、このコンビによって京流手事物は完成されたともいえる。《笹の露》《茶音頭》《楫枕(かじまくら)》その他多くの名曲が菊岡-八重崎によって残された。そのうち、この曲は初期のころのものと考えられている。『源氏物語』の「夕顔の巻」に題材をとっている。源氏の君が六条に通う道すがら、五条の辺りに住む女性を、夕顔の咲く垣根ごしに見て心ひかれ、河原の院に連れていって語り明かしたその夜、六条御息所の生霊があらわれ、夕顔がはかなく命を落とすという件をごく短く一編の歌詞にまとめている。前歌-手事-後歌という形式。手事はマクラもチラシもないが、掛合いがあり、虫の音や遠砧など秋の夜の寂寥をあらわしている。小品ながら、幽艶で味わい深く、名曲であるが、この曲を忌避する演奏家もいる。(「邦楽百科辞典」より)
解説に述べられる、地歌(三味線歌曲)のうち、前歌-手事-後歌の構成を持つ「手事物」、その最初に習うことが多い曲です(つまり、今日はそういう「初めに習う」曲ばかりを集めているわけですが。初めに習うからといって、決して易しい曲ということではなく、どころか、初めに習う基本が最も肝要であり修得が難しいという、どの世界にもあるだろうことわりです)。曲を通じて旋律は非常に繊細で、ときおりの転調をアクセントとしながら、凜とした女性美を見るような印象を残す傑作小品と言えるでしょう。菊岡検校が三絃のための歌曲として作曲し、八重崎検校が箏パートをあてがった(これを箏手付と言います)曲で、作曲時には尺八との合奏は考えられていませんでしたが、本日は箏抜きで、江戸後期以降(建前上は明治以降)盛んになった尺八との合奏にてお聴きいただきます。