陰鬱な年は明けたが、近所の旨くて安い割烹『有原』のおせちにつられて酒量が増え胃腸が疲弊した程度で特筆すべきこともなく、仏間での吹き初めは、某所でのごく内輪の献奏で近々に吹く予定がある残月。だけではアレなので、松竹梅と越後獅子で、めでたくもありめでたくもなしのバランスを。さても、二尺管で残月を吹くと指がつりそうになる。
腹筋・横隔膜をふいごの持ち手に、肺を気室に、食道と口腔(広くは喉全体)をホースに、唇と舌まわり(広くは頭部全体)をノズルに。ホースとノズルは、型を保つための筋力を除く余計なテンションを排して脱力。息の流量と圧はふいごのみで安定させる。メリは頭部の平行移動によってカリ状態のホースをひしゃげさせ、流量を絞る。平行移動していく唇を竹に追いかけさせればおのずと歌口の開口面積は小さくなり、音は下がる。舌は下唇と仲良く。この操縦を完璧に仕遂げるだけで、ひとまず誰でもベストの音が出せる。易い楽器ではないか。
マニュアル車の運転よりもよほどルールの数は少ないはずだが、それを身体に染み込ませるのに、私の如き牛の歩みで幾年かかるのだろうか(干支は亥なのだがなあ)。ただ、年末あたりから「ノズルは喉ホースから遠ざけないほうがよい」という仮説を得て、検証にこれつとめている。いや、「遠ざけたほうがよい」であるわけはないのだが、ではどの位置にあるのが最善であるか、は長時間にわたって様々試してみなければ判らない。判ったところでそれは、上記操縦の過程において「☝」で付記されるワンポイントくらいのものではある。
年の初めなので大事なことを改めて。たまに書き出しておかないと、覚えられないうちに忘れてしまう。
LX100 この時代にまだあったか…。
菊姫、空蔵(くぞう)、神稲(くましね)、白木久、宗玄、旦(だん)、不老泉、秋鹿、春鹿、賀茂鶴。師走から年明けにかけて、我が家もしくはひとさまのお宅で呑んだ酒。ハズレは無し、の前提のうえで、面白かったのは空蔵と旦。ともに不得意な温度帯がなく、いち銘柄の裡にコテコテからツイツイまで多彩な表情を忍ばせている。これだけ呑めばそりゃ太るはずだ。卓球卓球。
「濃度が基準以下なら問題なし」が通るなら、核ゴミに限らずあらゆる汚染物質を海に流して「基準以下」に薄めてしまえば「問題なし」となる。海があまねく「基準」に達してしまうまでは、世界はあらゆる汚染について考えなくてもよくなる。地震大国の沿岸に建ち並ぶ42基に限らずあらゆる原発は、それが問題アリなのかナシなのかを否応なく、しかもうんと考えさせる装置であると云えるのだが、みなさま、うんと考えていますか。
SDGsも17項目すべてが大した装置となり得る題目である(なにせ実現の暁には、世界から貧困や飢餓、性差別、不平等、自然破壊がまるっとなくなるのだ。パラダイス!)が、ざっと「もったいない運動」かなにかのことだろうと勘違いしている人が多いように思えてならない。「できることから始めよう」を「なんの苦もなくできることだけちょいとやってお茶を濁そう」と半意図的に誤読している人も多そうだ。ついでに、SDGsでは戦争と暴力を諫める記述が曖昧にぼやかされているように思う。多くの犯罪、損失、悲惨の根本原因なのに。なぜだろうかと少し考えれば、ああ、もろもろ辻褄は合っているのかと。
めでたくもありめでたくもなし。