忍者ブログ

いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

展開いまむかし

YOASOBIの「アイドル」を初めて聴いたときに覚えた既視感は、いったい何に由来するのだろうとしばらく考えて、ああ、光崎検校の、例えば「三津山」や「千代の鶯」と同じやり口なんだと。猛スピードでの展開に次ぐ展開、「いや、そりゃアリかナシかで言えばアリだけど」という不自然ギリギリ手前の(ゆえにマニアの鑑賞にも堪えうる)、エゲツナイ旋律のつなぎ方。DTMで、書いては消し書いては消しでようやく作られる「あ、こうも行けるか」「あ、こう行っても反則ではないな」の連続を、200年近く前にそらで弾いてのけた検校の音楽スペックたるや。

ここ2カ月ほど、合奏稽古に「夜々の星」をかけていた。この曲は、上記のような “スレスレ展開” という点では光崎作品群にあってごくおとなしい部類だが、先生に合わせていただくたびに違う個所で足を踏み外す。曲を覚えていない私が悪いのは無論のこととして、この曲にも光崎検校ならではのごくナチュラルなふるい落としのトラップが節々に配されていることが大きい(と人のせいにしたい)。

トラップとは、旋律的 “読点” の後にどんなイディオムや文節が来るのかについて、「そう来たなら次はこう行くのがお約束だよね」の予断を許さない、「あっ、そっちへ行くんだ!」の分かれ道。その案内板の隠し方が巧みというか底意地が悪いというか。不心得者がけつまずき、また道を外れるのを見ては墓の下で嗤う検校。

一度は覚えたが、できれば再び暗譜で吹きたくないと私が思う曲の代表格は、この「夜々の星」と、菊岡検校「磯千鳥」、そして石川勾当「新青柳」。イソチと青柳もまた、あちこちに迷いの分かれ道があるのだが、その選択肢の並べ方がわりと素直というか、間違えたとしてもすぐ「あっ、そっちの道でしたねハイハイ」と納得しながら引き返せる。ひきかえ夜々は、やりそこなうと「あっ、そんな道があったのか、やられた!」という、饅頭と思って馬糞を食わされたような悔しさが毎度まいど…。いや、覚えもしないで悔しがっているだけですが。

とまれ、周囲の当道連に妬まれ嫉まれ嫌われて京を追われた、という真偽定かならぬ逸話も「あったろうな」と思わせるのが光崎検校の、当時としてはキレすぎた才であり、かたや当世のYOASOBIは、国外でも評価されてビルボード1位。開国このかた、光崎曲の恐るべき価値を理解できる外つ国のエラい人が数人でもあったれば、今も昔も逆輸入褒めに弱いヒノモトのこととて、検校の、ひいてはその後の地歌の命運さえも変わったかもしれないが。たらればよしなし。


S5Ⅱ

さて、台風が到来する前にひむがしへ。いつまでたっても仕上がらない、いつもの曲を吹いてこよう。制限時間8分は、本曲を吹きたい私にとってはとても有難い。あっちもこうならないかな…。
PR

コメント

プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

P R