昨年のコンクールから1年と少々が過ぎた。あれからも、私は相変わらずほぼ毎日仏間で吹いているし、にわかに賛助の依頼が増えたわけでも、単独演奏会を開いたわけでもない。と、状況に特段の変化はないが、少なくとも自分の中では、「竹を吹く」にまつわることどもが大きく変わった濃密な1年だったと思う。自宅、九十九里の稽古場、演奏会「有楽伯」と、このブログの冒頭の一文(を略したのがタイトル)を私に教えてくださった糸の先生との合奏練習。20年余り、ほぼこの4地点でしか吹いてこなかった引きこもりの如き私の座標がある程度把握でき、その間の五里霧中、徒手空拳が(大いなる遠回りにせよ)それほど無意味な営為ではなかったことを嬉しく理解でき、自分の強みと弱み、またこの先何に注力すべきであるかも知れた。いい羅針盤をいただいたものだ。
「つまるところ私は、先生の琴古イズムを不完全・未完成のまま審査員に提示したにすぎず、それが評価されたとて自分はなにほどの仕事もしていないと強く思います」
「今後もできることといえば、先生をはじめ先人たちが醸してきた音楽のエッセンス、その盃として、できるだけ『容量』を稼ぐのみではありますが、その鍛練の面白さこそ古典の特権、他にない楽しみ。不肖の弟子に倍旧のご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします」
1年前、受賞を祝ってくださる師匠のメールに、私はこんな返事を書いていた。フフン、殊勝ぶってから。しかし私にしては珍しく、ごくまともなことを書いているように思える。すべてを正しく奏したとき、オノレの「仕事が」「個性が」と欲を張らずとも、音楽はおのずと奏者のものになる。同時に奏者は、正しい先達、また正しい楽器との合一の感覚にもうち震えることになるだろう。そのときを待望しつつ、自らをより大きな盃となすべく、もうすぐ年男の私は引き続き奮闘努力する。時間はない。
K-5Ⅱs 2年前の成都にて。これも正しき技だなァ。