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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

斯様にどんなに左右にブレようとも、核心にあるのは矢張りネイロ、ネアジだと確信する。

(中略)

不易流行。
不易の部分は幹の、
狭義の「風の色」。

とどのつまり、名人たる人も、音色で、響きで個性の8割を主張している。技法、装飾は尾鰭。大事。

(中略)

さても。

奏者の技法的、音量的要求から、尺八がピアノ化していると言うか、音色が前提化されつつあるような。

だからこそ、竹の原点たる「風の色」を既に手がかりにしているのだから、世間に対して表出する運動こそが、立つ瀬。

乱暴だが、わざは努力で何とかなる。風の色、声は努力ではどうにもならない天賦のもの。

「十の技より一の色」

墨の美。

居場所を見失うべからず。

・・・・・

「尺八・風の色」以降、その感想から始まって、師匠からは延べで軽く数千字のメールをいただき、弟子もおよそ同じ分量の拙いレスをお返ししている。此度に限らず、師匠からのメールの全文はとあるところに大切に仕舞ってある。「言わぬが花、竹が物を言い始める」。だが、花深處の深奥とまでいわずとも、師の鞭撻、そのイントロくらいはと、あたらつぼみの花を手折り野暮の露を漏らす我。誰かを同志に引き込もうというのではない。先から同じように考える人はきっとほかにもいる、その人と知り合うよすがに、また旨い酒を酌み交わすための肴にしたいだけだ。


K-5Ⅱs ラオス・ルアンナムターの耕耘機トラック。修理がはかどりそう。

盆地の真ん中、京都市内にさえ秒速40m近い大風を吹かせた台風21号が去り、ねっとり生臭い丑三つの空気にしんと浸かりながら、「これ面白かったで」と弟が貸してくれた山本邦山・富樫雅彦・山下洋輔によるアルバム「ブレス」を初めて聴いている。確かに、面白い。曲がどうこうというより(失礼)、以前に書いた「根と技」が、まさしく昭和の大名人に相応しい比率でもって聞こえくるから。ロツレチハのすべてに固有名詞の如く歴然たる色がある、シズルに溢れた古典の音がなければ邦山先生は邦山たり得なかっただろう。そして、ジャズにあっても、邦山先生は抜群のテクニックと創造性でもって大きな根を持つ “古典” を吹いている。

「ノヴェンバー・ステップス」を吹く横山勝也先生も、「明鏡」を吹く二代青木鈴慕先生も、同じ伝。古典のセオリーが排された場にあっても、根や幹のない空しい枝を繁らせることは決してない。だからこそ、画期の達人であった。そして、「あった」の過去形の裡に、鈴慕先生も入ってしまわれた。学生の頃に飽きるほど聴いた、斯界の外の人たちも知る尺八のスタアが、これで居なくなった。我々は、綺羅星の先生方が画した時代の「ポスト」を悄然と生きるのみか。否。

初代の曰く「永遠は一瞬にあり」とや。一瞬の音を、どれだけ遠くへ、どれだけ永く運べるか。佳酒を注ぐ前にまずは花の器をととのえなければならないが、つぼみを摘んでばかりの我に時間はそう無い。急がねば。
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HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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