旅行と書き仕事のラッシュと風邪で3週間ほどくたばっていた我。
昨日、大阪某所での内輪の会でままの川を合奏した。課題曲としてほかに萩の露・桜川があり、好きな曲を選ぶという趣向だったが、曲目を知ったのがほんの10日ほど前であったため、暗譜が間に合う曲をというみっともない理由で一も二もなくなんのまあ。
それはともかく、数年ぶりに人前で吹いたが、相変わらず竹に対する盛大なイケズとしか思えぬ酷な曲である。いきなりは出しづらく、かつ糸と律がピッタリ合わないのが普通の甲のチから曲が始まる(しかも歌に導かれない前弾き)という難しさに早くもままの川の酷は象徴されているのだが、次の音がチから大きく跳んでのツの中メリ、すぐにレをユった後、またも出しづらく上ずりやすいハの五を導音に、同じく上ずりがちなヒのメリで受けるという連携も難関。要するに前弾きすべてが、特に竹には難しい。前歌に入るとどうにか生きた心地が戻り、手事に辿り着けば安堵のため息。そんな曲、他にそうはない。
同じ菊岡検校に、やはり二上がりの、手事物としてはミニマルサイズの代表曲、夕顔がある。こちらはままの川に比べれば「しな」の少ない幽玄かつ高潔の曲調でもって格としては明らかにままの川を上回るが、三曲合奏において竹が恰好をつけがたいのはどちらかと問われれば、私はままの川であると即答する。必修曲目においてこの曲は中伝の中ほどに置かれているものの、いやいや、「吹いただけでは曲にならない」という点では奥伝の笹の露より難しかろう。
青譜の手付けも、ままの川においては「ん?」とやや違和を覚える個所がいくつかある。前弾き「レのユリ」「ツ
メレチ」、前歌「レのユリ」「ロレ
メツ
中ロリ
メ」「レチヒ(ハヒ
メチチレツ
メ)」「ハヒ
メチ(レヒ
メチレツ
メ」など。手がおかしいというよりも、単音を伸ばしっぱなしでは間が保たず、といって旋律・抑揚をどうつけても余計なお世話になろうという、曲が竹にとって無理筋に近いのだ。さしもの名人・初代川瀬も作譜にあたり、或いは手を焼いたのではあるまいかとわずかにニヤリとさせられる。そのせいもあってか、この曲では竹方が一部青譜を離れて独自の手付けで吹くさまも多く見られるように思う。新規の旋律美を模索する志向もあろうが、ご同慶の「やりづらさ」を動機の底に感じずにはいられない。
GM1 2月上旬、約1年ぶりのバンコクへ。ファランポーン駅近くの美容室。
さて、前弾きとくれば懸案の、装飾音問題。このブログではしばらく棚上げにしているが、師匠とのディスカッションはその後も続いていて、その間に私の考え方も「決まった型に何を吹き込むか」へと徐々に変化しつつある。さておき、ひとまずままの川冒頭の甲のチの吹きようとしては…
・(リ)レチの(1)(一・二・四孔全開→レの指→四孔を当たってチへ)
・(リ)レチの(2)((1)のレの指から四孔を当たらずにチへ)
・レチの(1)(レの指→四孔を当たってチへ)
・レチの(2)(レの指→当たらず三孔を開けチへ)
・チ(四孔アタリのみでチを出す)
などが考えられるが、昨日の私は「レチの(1)」を選択した。明確なロジックに導かれてそうしたわけではない。糸方がどのような間で弾き始めるのか分からない、下合わせ無しの一発勝負。私は会場に遅めに着いてすぐに曲順のクジを引き、見事、涙のトップバッターに。暖房はまだ室内に行き渡っておらず、音出しもままならず竹は冷えきったまま、かつ空腹、かつ病みあがりの練習不足という山盛りの悪条件。ピンポイントで攻めることを無意識的に嫌がった結果なのだろう、気がつけばレチの(1)で吹き始めていた。
ついでに、レチを伸ばして息を継いだ後のツ
中の吹き出しもタイミングが難しいところであるのだが、私はやはり無意識のうちに、今までに練習でさえ試したことのない「チをスリ上げ、息を切らずにツ
中に落とす」という音の作り方をした。次音の手がかりが何もない中でチを伸ばし続けるのは冒険だが、やってみて初めて分かったことに、息を切らないぶん “間の裁量権” が一時的に竹に回ってくるので、塩梅さえ間違えなければ、糸に先行され慌てて素っ頓狂なツ
中を出してしまうミスを回避しやすくなるのだ。レチの選択を含め、危ない橋を渡りたくない心持ちの時に自分はこんな吹き回しをするのかと発見して、演奏中、閉じた目の奥で独り面白がっていたのだった。
最後に、備忘録として。間が保たない曲を保たせるものは、ユリのバリエーションとスリ上げの塩コショウだ。特に、押しながらユって音を膨らませていく某三曲名人の音には学ぶべきところ多々。努々勿忘。