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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

貴き小異

28年近く吹いてきた。しかし、うち多くの時間は馬齢ならぬ馬キャリア。もののコトワリを理解せずに吹いた勿体ない年月であったと、今にして思う。その長きモウマイの象徴が、楽器の選択だ。

私の出身サークルである早大虚竹会は竹友社・川瀬順輔先生を仰ぐ団体であるから、新入生は会の備品である木管や、得体の知れない無銘の竹製尺八(私はこれだった)を1年ほど吹いた後、田中忠輔さんが製管師を務める竹友社付きの工房・竹友堂で大負けに負けてもらって竹を買うのが通例であった。のだが、私はここで違う道を行ってしまう。じつにいい音で吹く3年上の先輩がおり、その先輩の使っていた竹がとある都山系の工房のものであったため、あの音がほしいとばかり、同じ工房で竹を求めたのだ。当時、会を指導していた現在の師匠や順輔先生がサークル活動ならではのリベラル(と言っていいのかどうか今は迷うが)な空気を尊重してくださっていたこともあり、よその竹を使う学生がいても何らお咎めを受けることはなかった。しかし私は、早くも田中さんの竹に見えることができた貴重な機会をみすみす棒に振ったのだ。

その、琴古の歌口が付いた都山の竹で、師匠や順輔先生の音を手本に、私は古典を習ってきた。他流の竹を用いることが必ずしも間違いだとは言えないが、問題は流ではなく、派、というより、筋。教えを乞う先生の吹き料とは違う人の手になる竹を、私は使った。当時、そのことに因る支障を感じたことはなかったが、それは私が竹のすべてに無知かつ鈍感であったからだ。たとえば「ツのメリはこう吹きなさい」と師匠が言うとき、それは当然のことながら、「田中さんの竹で」を前提としていた。もちろん誰が作った竹で吹こうと、ツのメリはツのメリ。吹き方も出る音も大きくは変わらない。しかし、小さくは違う。アタリが、メリに必要な動作が、音の立ち上がりが、カリ音とのバランスが、すべてが小さく違う。その小異の貴さを、私はまだ知らなかった。

自前の竹を手にして数カ月で、ハタチの私は急速に大きな音を出せるようになった。となれば、尺八にハマる学生のお定まりの道。講義をサボって吹きまくり、先述のスタンプラリー的オケイコにおいて “修了” 曲目を着々と増やしていったが、いつまでたっても師匠のような音も順輔先生のような音も出せはしなかった。そして、自分の竹に慣れてしまえば当然のこととて、たまに先輩後輩から借りて試し吹きする田中さんの竹は息が要って鳴らしにくく、クセのある楽器と感じられた。以来17年、竹をいじったり、やはり他流の別の竹を求めたこともあった。つどつど音は少しずつ変わったが、思う音には遠かったし、その頃にはもう「これが自分の音というものなんだろう」と思いなしていた。

10年前。田中さんの竹を使っていたサークルの後輩と久しぶりに会った。もうあまり吹かなくなってしまったというその八寸管は、学生時分に私が触れた田中さんの竹の中で最も「鳴らない」と断じていた代物だ。ちょっと拝借、どれ、相変わらず鳴らないのだろうと戯れにウヒ、とやってみて、瞬間に私はそれまでの18年を悔いた。いままで解決が得られなかった疑問や問題がいちどきに吹き飛んだ。これか!と大仰に驚くほどに、オノレが阿呆に見える。「これか!」もなにも、田中さんの楽器は竹を吹き始めたときからずっと私の周囲にあったし、下手の考えを起こさなければ私もそれを手にしていたはずだった。

ラブコールを送り続け、根負けした後輩から奪うように竹を譲ってもらったのがそれから2年ほど後。実に20年を経て、私はようやく忠輔管に辿り着いた。いかにも長く愚かな回り道だが、それでも、生きているうち、竹をまともに吹けるうちにこのリンクが繋がったことは大いに幸運だったと思える。いやさ実際、ハタチ前後の私には、田中さんの竹に備わる音を理解して鳴らす能力がなかったのだ。当時手にしていたところで、投げ出すならまだしも、作者に黙って改作に出していたおそれさえ十分にある。10年前が時分時だったということだろう。

たとえばのツのメリを吹く。アタリの音がスポンと心地よく抜け、二孔を塞ぐと同時に丸いメリ音が響き始める。繰り返すが、これを他流の竹で吹けないということではない。スポンのアタリも潰れのないメリ音も、まともな竹なら出せはする。しかし、小さく違うのだ。そして、その小さな違いを集積して吹奏とするとき、私が求める音は田中さんの竹からのみ響く。憧れた師匠の音とも宗家の音とも相変わらずだいぶと違うが、広く同じ筋の上にはいると確信できる音。そして、田中さんの竹を使う師匠の「メリを指と角度で解決するな」。田中さんの竹を使って初めて、それまでのメリ方が間違っていたことを感覚として理解できた。「そういうことか」と。オカルトだろうか。否。少なくとも私にとっては。そして師匠にしてみれば、何を今さら。ほんとうの当たり前。「小さな違いを大きな違いとする繊細な感性は、自分好みの音、音色や音量を求めて、製管師を抱えあれこれ要望し、或は、共につくり、共通の価値観のなかで育んできたもの」。師匠や社中が何を伝えようとして竹を吹くのか知りもせず、真似ぶにしても「ちゃんと」真似ようともせず、なのに音だけ勝手についてくる、そんなうまい話はない。

回り道ついでに話を逸らせば、この大きな迂回の道中あちこちで、申し訳なくも複数の製管師さんにご厄介をかけた。その竹で出ない音を出してくれと注文をつけていたのだから、モンスター・カスタマーだ。よくつき合ってもらえたものだと思い返してヒヤヒヤするが、そのモンカスが20年後、個人的に得た教訓はひとつ。「竹を改作してはならない」。これに尽きる。

自らを悪例としてさまざまのシチュエーションを想定するに、「思うように鳴らない竹」が本当に鳴らないのかどうか、いち奏者が正確に判断できる可能性はきわめて低い。奏者に技量・体力・息・知識がない、Aさんが吹くと鳴らないがBさんには最高の相性、音量と引き替えに素晴らしい音色や特性を備えていることに気づいていない、などなど。極端な話、今のところ世界の誰も鳴らせないが、近い将来に編み出される全く新しいアンブシュアでなら至高の音を出す、なんてケースだってあり得る。早まってひとたび内径に手を入れれば、竹が持っていた本来の音やポテンシャルは程度の大小こそあれ、必ずや、決定的に、かつ不可逆的に失われる(多くの場合、製作者本人による改作であっても)。まして故人の作や古管のたぐいであるならば、いじればもう取り返しはつかない。よし鳴るようになったとしても、その中身はあくまで「あなたでも鳴らせるように」もしくは「誰でも鳴らせるように」のベクトルで枝を打ち牙を抜いたバンブーフルート。それはオーダーメイドではあるが、カスタムというよりはデチューンと呼ぶべきだろう。

竹を手元に置いたのは、他ならぬ自分。鳴らせないなら、うっちゃって他の竹を吹けばいい。もう一本を買うカネがないなら、鳴らない竹を手放して元手にするか、カネが貯まるまでそのまま吹き続ける。それが、保たせれば百年二百年を経ても変わらぬ音を奏でる尺八の、持ち主が負うべき責任であるだろう。と、自らの不徳を教材に、小異の大切を知り初めて日も浅き、しくじり半可通のセルフ繰り言。


K-5Ⅱs 師匠の愛犬・ハチばあちゃん。

本線に戻る。さて、これだけ大騒ぎしておきながら、私が現在使っている八寸管は後輩から譲ってもらった竹ではない。ほんの3年前に田中さんから直接、おそらくは大負けに負けて売っていただいた新作である(後輩の忠輔管も無論いまだ手元にある)。20年余を隔てたこの新旧の竹の間に、孤高の職人・田中さんの常軌を逸した(失礼)進化と深化が潜んでいるのだが、そのあたりは稿を改めて。「呂のロなんてどうでもいいんだよ。ツのメリが鳴んなきゃ話になんないんだから」。このセリフをトンデモナイと思う人は、田中さんの竹を触らないほうがいい。いや、数年前に竹友堂を離れ、今や寡作の田中さんの竹が改作の憂き目に遭うの惨事を避けるため、どうかどうか、決して触らないでほしいと心から願う。
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プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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