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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

響けよ仏間

年が明けても、無論変わらずあばらやの仏間で吹いている。畳の、襖の、障子の、砂壁の、どこを叩いても昭和の和室だ。当然ながら響きはすこぶる悪く、竹が冷えきっているときや空腹時は本当に情けない音になってしまうのだが、均せばおよそ2カ月に一度ペースで、この音を吸いまくる空間の隅々にまで音が満ち、床の間に立てかけてある箏もゆたん越しに共鳴りするほど竹が鳴る日がある。こんな日は吹いても吹いても疲れないし、律が乱れることもない。あの特異な日はいったいどういう法則でやってくるのか、知りたい。

学生時代は、賃貸マンションの自室では音を出せないので、もっぱら部室のある学生会館の、階段の踊り場で吹いていた。これが今思えば不幸なことに、銭湯よろしく素晴らしい反響のあるスペースで、だからある程度大きな音さえ出せば色は場所が勝手につけてくれた。こんな環境での練習に慣れていると、響かないホールでの本番は地獄(今は知らないが、改装前の南大塚ホール、新宿の金属健保会館などは相当な無響ぶりだった)。もとより自らの音の不備不足に気づく機会も激減するから、いいことはほぼ無い。もっと響かない練習場所を探すべきだったが、響く快感から逃れることもまた難しかった。

ただ、自分の音を聴衆として聴くことは誰にもできないにせよ、ホールでの響きを仮想的に体験できる響きのいい場所での練習も、たまにはあっていい。「そこまで押さなくても十分に響く」「ホールによっては押しすぎると音楽が壊れる」「響いている間に息を継げる」あたりの発見は、きっと竹の舞台あるあるだろう。

仏間ごと鳴らせる日は隔月刊ペースだが、本番の舞台で鳴らないと感じることは、今となってはあまりない。これもワタシ的には竹あるあるであり、かつ不思議に思うことの一つ。我が家より響きがいいのは当たり前だが、「鳴らない日」に当たらないのはなぜなのだろう。


LX100

あ、鳴りはしても、緊張で指がもつれることはままある。いや、よくあるか。とまれ、座敷の芸術であった三曲の音場を考えるとき、日本家屋の和室で吹き慣れていることはマイナスにはならないはずだと、響きの良い稽古場を持てない我を慰めている。
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プロフィール

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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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