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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

メリについて

藤井聡太六段が師匠に勝って恩返し。師匠・杉本昌隆七段は、出藍の誉れ、しかし…の思いで心中複雑であるだろう。伝統を帯び、かつ、強いと弱い、王者とそれ以外とを常に峻別していく世界ならではの酷薄。もはや駒の動かし方さえ怪しい程度の門外漢ながら。

尺八においては、勝ち負けはない。演奏レベルやこころざしの高低、人気の有無、ヨイ音楽とワルイ音楽などがよしあるにしても、それらは目に見えないし、好悪の判断は十人十色だ。かろうじて、純粋に序列を定めるためのイベントとしてコンクールはある。たとえば毎回課題曲を定める都山流の本曲コンクールであれば、高度にフラットな基準に沿っての審査が可能だろう。けど、「琴古流本曲コンクール」なんてものがもし開かれるとなったら…。仮に課題曲を決めたとしても、さあ大変だ。どう大変か、考えるだに大変だ。

その点で、昨年出場した「くまもと全国邦楽コンクール」のような「箏・三絃・尺八・琵琶などの独奏・合奏すべてOK」「全楽器を一緒くたに審査・採点」「流派不問」「曲は自作を除き新旧不問・自由」という、あえて劇的にユルい参加資格・規定をしか設けないコンクールは、お祭り的な勝負ごととしてかえって、実に意義深いと思う。ついでに、杉本七段のわずか二つ下、ド中年の私が出場できる「年齢不問」の邦楽コンクールは知る限り他にない。末永く続けていただきたいと、切に切に。


GM1

メリ。

一二三の本格レッスン開始以来、何度も師匠に言われ続けてきたのが「首を後ろに引いてメルべし」。鳩が歩くときのように、正中線を鉛直に保ったままの頭部を後ろへ平行に引き、その作用でメリ音を出さなければダメだと。ともすると首はそのまま、顔を俯かせることで開口部の面積を狭めて音を下げようとしてしまうのだが、これだと音が潰れて奥行きをなくすうえに、息ビームと歌口エッジとの位置関係が急に変わるので立ち上がりが鈍ったり、悪くすると音が途切れる。それを、首を後ろに引く作用、すなわち、カリの時の自然体の気道に一定の “ひしゃげ” を生じさせることでメリ音を出すのだと理解した。もちろん、頭を平行に引けば、管は後ろへ下がる唇を追いかけて、顔面に対してやや垂直方向へ移動する、つまり角度としてメル方向へ動くので、その作用も加味しての「首メリ」であり、角度メリを一切援用しないということではない。

さて、そのように習い、そして実行してみることで、確かにメリ音の音幅は大きく丸く広がった。そうか、これが自分には出せないものと諦めていた古典のメリ、いや古典もなにも、師匠たちが習ってきた唯一本来のメリであったのかと、例によって今さらに膝を打ったものだが、この「首を引く」動作、ゆったりと吹く本曲でならまだしも、三曲合奏の手事ペースのパッセージではなかなかできたものではなかった。以前に腰を痛めたとき、鍼灸の先生から「普段からこの運動を心がけてください」と首を前後に平行移動させるストレッチを習い、ちょくちょくやっていた私だが、それでも全然間に合わなかったし、ヘタに首を引いてしまうと、次のカリで顔を前に突き出すときにアクションが大きくなりすぎて音を外すことさえあった。

で、悩みながらもだましだましでメリをクリアしていたのだが、ついおととい「あっ、これか!」と天からメリが降ってきた。ように感じた。

やはり師匠がしばしば口にする、「腰から下は巌の如く、腰から上は柳の如く」。首だけを引こうとするのではなく、「首から上の頭を引き、かつ首から下の胸と腹を出す」意識でやれば、プラマイで気道は相対的に大きくひしゃげる。首から上と下でバランスを取りながら動かすので安定がよく、なにより胸・腹まわりの大きな筋肉を協調させながらのメリなので、首だけでやるよりも動作がずっと速い。

思えば、不完全なメリに対するご指摘と並行して、私は「そんなに身体をそっくり返らせるな」と叱られ続けてもきた。上記のアクションがメリの正解であるならば、背筋を反らせ胸を張った姿勢は、胸や腹をそれ以上前に押し出せないメリ封じになってしまう。また師匠は、音の力みを抜き朗々と響かせるための姿勢として「おーい」と呼ぶときの、わずかに首を前傾させ、頭部の正中線は鉛直、という状態をとるようにおっしゃる。これも、気道まわりを脱力させるとともに、「メリしろ」を確保しておくために必要な心得なのかもしれない。

なにせ2日前に薄目が開いた骨法なので、まだぎこちないこと甚だしく、メっているのかいないのか動作からはほぼ分からない、あの三曲名人の域は星の彼方。そもそもメリなどは息をするように、心臓が鼓動を打つように、の当たり前であって然るべきなのだが、分かっている人は誰でも知っているエウレーカを嬉しさまかせに書いてしまうの巻。いや、ほんとうは、師匠から「それ、見当違いだぞ」と縷々の指摘が飛んでくることを恐れ、かつ楽しみにしているのだけど。

そうそう、大事なことながら「気道がひしゃげればなぜ音が下がるのか」を私はまだ師匠に確認していなかった。気道が狭まり、息ビームの流速が落ちることで音が下がるのだろうとなんとなく予想はしているのだが、この考えは合っているのだろうか。ともあれ花深處へ誘われるほどに、尺八吹きに求められる要素は大部分が「吹奏」以前、もっとフィジカルな「操縦」と呼ぶべき技術なのだろうと思う。どう吹くか考えるのは頭だが、本番でそれを実現するためには身体のあらゆるパーツを正確に動かすしかない。吹奏は、メリの完成の、フィジカル成就の遙か先にある。道中、まずは器。追って、その器に旨い酒を注ごう。
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プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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