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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

一二三が吹けりゃ

一二三鉢返調の稽古を「本格的に」つけてもらうようになって、もう5、6年は経つだろうか。私が住む京都から500km以上離れた九十九里にお住まいの師匠のもとへはさすがに毎月通うわけにもいかず、季節に1回、多くて2回の泊まりがけがせいぜい。稽古場に座って毎度「じゃ、一二三からいきましょうか」。一二三からいく、しかし、一二三を過ぎてその先へ進むことはない。おそらく今後も、この曲に修了印をいただくことはない。私が一二三をいつまでたっても吹けないからだ。

ツロ、ナヤシ、ウレ、ハツ、リウ、レロ、ウヒ、ヒヒ五、チウ、ハ二四五ハ四五、ツレ、ウツ、ハラロ、リのユリ、リチ、ロのユリ、ハレ。書き出してみて、曲のシンプルさに改めて恐怖を覚える。竹翁入手を含めても、かろうじて特殊と言える手はユリとハレくらいのもの(といっても本曲においてはアイウエオに毛が生えた程度の基本的なイディオムだ)。あとはメリとカリの単音の連なり「でしかない」。ムラ息もない。コロコロもない。単純明快。

では冒頭のツロを。師匠は「はい」と制止する。「ツが表に聞こえる」。そこから。「メリを指で解決しようとしてる」「ツを初めからユって」「メリ込みをアゴの角度でやるクセがついてる」。ツロどころかツでこれだ。いや、間の問題や言葉にしづらいイメージ的なことも含めればこの3倍は叱られる。一歩も進めはしない。つまり何であるか。私があらゆる基本をすっ飛ばし、あるいは履き違えて身に染み込ませてしまっていた、そして今もそこから抜け出せずにいるということだ。サクラガサイタと言うためにはアイウエオが言えなければならない。その「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の発音がすべて心得違いだったなら、サクラガサイタなど百年早い。「ア」から始めるしかないのだ。譜面が書き込みだらけでまともに読めなくなる頃には、書いても無駄だ、身体と脳に染み込ませるしかないと理解した。

私の学生時代、社中の師範代として尺八サークルの指導に来てくださっていた頃の師匠は、1曲あたり数回の稽古で「修了」のサインをくださった。あれは今思えばスタンプラリーのような、なまっちろい学生のヤル気を萎えさせないための方便、片仮名で書くべきオケイコではあった。

この「本格」稽古を再開する少し前、つまり竹に向かう私の姿勢がまだおよそナマナカであった頃、とある演奏会にうかうかと得手勝手の一二三を出した。聴きに来てくださった師匠はありがたくも感想をメールで送ってくれる。「古典は、『みかん』の文字をみて美味しそうに発音することに似て、独創と称して、『ん』にアクセントをおいて言ってみても、ワタシはとりません」。内心、おきやがれ、手前のナンザ一二三じゃねェや!と一喝したい思いであったに違いないのだが、「一二三鉢返しは、音色の練成と陰陽を基本とした本曲、五孔で十二律を音色を変えて表出する美意識を、竹の本質を問い続けるにはうってつけ。更にこの曲で問い続けて欲しく思います」。噛んで含めて教えてやるしかないと師匠はこらえてくださった。そしてその後、ようよう慮外者なりに腹を据えたと分かれば、よしきたと一二三の深みへ放り込んで容赦なく揉んでくださる。教わる側から言っては失礼ながら、教えるというのはたいへんなことだ。私にその忍耐は備わっているだろうか。

師匠は先達に「一二三が吹けりゃなんでも吹ける」と教わった。言いかえれば「一生吹けないのが一二三だ」なのだが、それでもいいだろう。陰陽の境地という大岩に取りついてえっちらおっちら登っては落ちる哀れな小人のゴマメ歯ぎしり、その無様を一幕の余興として師匠に楽しんでもらえる日がいつか来るかもしれない。


K-5Ⅱs

早くも「師匠ブログ」になりつつあるが、師匠に教わる竹のことを書くのだから、そうならなければオカシイという話だ。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
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