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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

リツレ問答

「残月前弾きをどう吹き始めるか」。

先に書いたこの問題について、しばらく前から師匠とメールのやりとりをしている。目指すべき方向は、少なくとも私の中ではハナから定まっているのだが、ではどういう方法をどの深度で採ればいいのかが難しい。なにせ手本がないのだ。

メールはそのうち埋もれてどこかへいってしまうので、備忘録としてここに残す。差し障りのある固有名詞は伏せる。

・・・・・

おとといは某所のAさん宅で合奏練習会。Bさん(C先生のご高弟)、D先生と残月でした。(中略)Aさんからは音をぶった切っていて雑に聞こえるところがあると注意され、またBさんには前弾き冒頭をリツレ~!とやられると(琴古はそうするものだと分かりつつも)毎度ガッカリすると。これは以前E先生にも指摘されたところです。

リツレは、おそらく優れた弾き手の多くがフラストレーションを感じているにもかかわらず、竹方で真正面から取り組んだ人がほとんど居ない問題なのではないでしょうか。

先生のおっしゃる「あえて音量を抑えることで音楽が痩せてしまう」類いの遠慮は論外として、全力で吹く、その全力を音のパワーだけに向けず緊張感ある音楽世界の維持に使えれば、竹の曲ではない地歌に竹の居場所をキチンと作れるのではと、今のところ考えております。

で、その一環として、竹の曲ではないというところを突き詰めれば、やはりリツレなど糸の理屈に合わない音型は、少なくともただの手癖として無神経、無批判にやってはよろしくなかろうとも考えます。

ではどうするか、アタリだけでやるのか、リを入れない山口五郎先生のようなツレならいいのか、ハロもウヒも使わないのか、ちょっとは使うのか、ならば使い分けの基準はどこか、などなど、考え始めたとたんに議題山盛りですが、それでも三曲合奏を愛する竹方としてはいつかどこかで考えなければならない問題かと。

・・・・・

成る程。
誰からも何か言われたら、まず、何を指摘されたのか、具体的に了解するまで質問する。

その後その点をどうするかは、確固たる自分にブツケテ、吟味。
で、取捨。かな。

リツレとは、何のことか?
ツレとツを装飾的に、しかもアクセントがツにある、あの手のことに思いますが、糸方が嫌がると。
成る程。
面白い提起。
ツレ以外に、他に何があって、何故、違和感なのか?
徹底的にきいてください。

曲ごとに調子があるわけで、宮音が何で、その五音階のノボリクダリの音、羽は下行で一音下がるが、私見としては、今問題の装飾音が、その調子のその音階にない音を無反省に吹いている。

そんな事のように思えますが、
再考してみます。

ツレ、ハロ、ウリ、等々はその曲の五音階に無関係に、レ、ロ、リに付けている飾り、ですね。
それが、目障りな耳障りな音なのかも。

リツレ問題ですが、そのアタックをリツレと捕まえていることに驚きました。
あのツレは
リツレではありません。
四孔が閉まると同時に息を入れ、ツとするもの。
四孔が閉まる前に音がしたら、確かに、リ、ですね。

私見ながら、あの手は、本来は四孔でツを当たってレに移る、だったのでしょう。

それがいつしか、四孔を「開けてて」閉めるになってしまった。

どうでしょうか。

・・・・・

「リツレ」は私が便宜的にそう呼んでいるだけで、糸の方は特に呼び名を持っていないと思います。ご推測のとおり、一孔・四孔アケからツ→レといくあの手のことです。分かりにくくて失礼しました。この場のみでの符丁にさせてくださいませ。

で、残月前弾きについてのみ、話を三曲合奏全体に敷衍させずBさんに聞いたお話では、あの前弾きは糸の美しさの最たるひと節であり、その頭の音にフォルテのリツレは、糸の音を殺す(無神経な)装飾だ、という趣旨でした。もちろんこれの10倍はマイルドにおっしゃいましたが。

これはたしかにそうだなと思うのです。しかも、リツレのリは本来のリより低く、和音にならない異音です。その音を糸の横で、かつしばしば糸より先走って出されてしまっては…。

で、先生のお考え、ツレの装飾としてのアレの変遷をお聞きするに、なるほどと。四孔をアタルのみのツレならば、出る音はツとレだけ。リツレに比べればよほど糸の耳に障らないでしょう。

それが、おそらくはより強いアタックを求めてリツレになった。リの段階で音が出ていたほうがツを導きやすく雰囲気を出せることもあってツの前にオマケが加わり、本曲用であったその手が三曲に「無批判に」流用されて今に至ると。これもまた推測の域を出ませんが、遠からずでしょう。

ロツ、ツレ、レチ、ウリ、ハロ、ウヒなどの装飾音バリエーションのうち、どの律にも入らない異音を伴うのはリツレとリレチだけでしょう。なかでも、ある意味琴古のアイコン的な手となっているリツレが、残月の冒頭という、糸にとってわけても譲れない場所で、竹の満々の気合いとともに発せられる。よりにもよって、という条件が重なって、糸方はヒトコト言いたくなるのではないでしょうか。

というわけで、リツレ問題と竹の装飾音一般の問題とはちょっと違うのかもしれません。まして、私は調子との連関ではまだ考えていませんでした。

いずれにせよ、三曲においてのみ、これら装飾音をある程度の時間をかけて吟味し洗い直してみる甲斐はあるかと。たとえば残月の頭を教科書どおり、レの指で四孔をアタルだけで吹き始めてみる。音アタマが不安定になる、格好がつかない、勢いがつかない、膨らませにくい、その代わりに得られるものはありそうだと感じています。

もちろん、本曲においてはすべての音が出自を示す大事なID。これをどうこうしようとは毛頭考えておりません。

・・・・・

残月のアタマの、一音大事説。
ご尤もな。
そこを言うなら、極論三絃一丁で演奏すべき?
「ゆき」に竹をなんて言ったら
馬鹿言ってんじゃないよ。ってことは冗句にしても。

三曲で竹が大手を振ったのは明治以降、とすれば、そこから始まったとすれば、大した歴史はない。
竹の常套を、手癖?をそのまま、持ち込んだ、と言えなくもない。

三絃の手をなぞるように、譜をおこした訳で、とすれば、三絃にはツレのツはない、竹の慣用句を持ち込んだことになる。

盟主のツレのツは、聴衆の一個としての経験から、三絃、箏と舞台で、レをドンピシャに合わせる指揮者の役割のような、テンポを鎮めて最後に三者がピタリとキメる時なども同様の。

竹の役割は、胡弓同様、アタマから次の音のマをつなぎ、マを決める、バチと爪の弾きどころを一点に極める役割と。減衰する糸の音を補いつつ。

今は少ない、オメクラサン、盲人、高田師、森師などなど。
竹の意気をうかがい、或は、ヨッ、っと小さく声かけていましたね。

地唄の音場は本来御座敷、室内でしょう。井上、阿部の先人の糸の、下合わせなどに、同室した驚き、それこそ、一音の余韻、サワリの面白さ、複雑さ、その調整の巧みさ。打楽器の迫力、撥さばき!
竹無用の、日本人独特の美意識。そこは、座敷、広間。
ホール、公会堂での演奏は明治後半あたりか。三絃、箏は余韻の絶妙を捨てざるを得なかった?物理的にその距離では聴こえない。
屋外の門付けをも前提する津軽三味線とは出自を異にする。長唄、清元、常磐津は劇場対応か、六丁前後の合奏で音量を稼ぎ、見せ場のみ立三味線の派手な曲弾きなど。

明治、或は、幕末か、三曲の、胡弓を駆逐し、竹の占領は何故でしたっけ? 胡弓の哀愁が強すぎる?

日比谷公会堂で、糸二人では、余韻聴こえず間がもたない。

問題のツレのフキブリ、荒木竹翁の門人、その流れで大分違う。ガツンの鈴、舐めるような盟。
同じ先祖で別物の出で立ちで構えている。

そんなこんなを考えるとき、竹ひとり我折るのも、さて。
胡弓みたいに、後追い、頭無しにヌルッと竹がでるのも、どうした⁉感となるだろうし。

その糸方との残月、前弾きを三絃独奏で、ってのもありか。

面白き問題提起に違いなく、アタマに限らぬことにも思えて。

かと言って、竹がツマになるような為体は御免被りたい。

新たな価値の創造の気合いで研究下さい。


K-5Ⅱs
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
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