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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

カタチと創造

竹は本業。そして、私にはもうひとつかけもちの本業がある。にもかかわらず、マルチタスクをこなすに足るCPUやメモリを備えていないため、勤め人に比べればごくごくヒマそうに見えて大概何かに追われている。師匠宅でパソコンをお借りして鉄火場の仕事を仕上げつつ、合間のお稽古の音はボロボロ、というみっともないこともあったし、今後決してやらかさないと誓うのも難しい。ともあれ、この1週間もソッチの〆切に追われて筆が止まってしまっていた。

リツレ問答の続き。師匠にいただいたメールから。

・・・・・

ディズニーランド、南大門、どこの入口でも、隣のカラオケでも、パユのソロでも、最初の構えや音で、セカイヲミセル。驚かす、気持ちを掴む、振り向かせる。近くは一二三でも。
残月とても同じ、という視点。

曲の軽重は何で決まるのか?
重い曲には、思い入れ、あれこれの肝もまた伝承される。
しかし「藝は一代」と誰の言葉であったか、先人の言葉としてある。
カタチに命を吹き込む創造性。

脱線するが。
「ムライキ」この入れ物の中身について。
現在のムライキの表現を圧倒的に定着させたのは、横山勝也師であろう。

遠音のムライキ、二代川瀬師は、「大カリにして、強く吹き込み、竹を上下に揺る。」と。
初代の弟子、高橋鐡観師も同様に本曲研究会で指導実演。この「上下に揺る」は所謂ユリとは、全く別物。竹を支えている右手で竹を唇から遠近方向に細かくユスル。

探せば、同時代の琴古流音源であるかもしれません。

古典の伝承は変容を不可避とし、中身に加え、袋の形さえ微妙に変化しているのかもしれない。

黒澤琴古がいまの尺八を見たら、吹いたら腰を抜かすかも知れない。竹材も内径もかなり細い。

・・・・・

はい。いや、「はい」でいいのか分かりませんが、リツレをやらない残月冒頭の先に、より研ぎすました三曲の尺八があろうという予感はこの数年来抱いています。まずの課題は、四アタリのみのレで間をもたせるだけの音を鍛えることかと。その先が怖いのですが。

ムラ息、みんな好きですね。やりすぎはオナニスティックできついものがあります。というか、今のムラ息は、ムラのある息音よりも、初めに引っかける割れたロが本体になってしまっています。私も他派の音源ばかり聴いて、そういうムライキが「正解」なのだと思っていた時期がありましたが、あれは語義から素直に解釈して違うのでしょう。

先生のお説ならば、川瀬派や古童会の、何かが抜けるような震える「ホーゥ」が元祖に近く、五郎先生の「ポォーゥ」が応用編、といったところでしょうか。

ともあれ大カリ上下ユリ横ヤリ、試行錯誤してみます。

(終わり)


DMC-GM1

ムラ息についての考察はまた別の機会に。

リツレについては師匠のお考えも容れつつ上記のように考えている、いや、いたのだが、「カタチに命を吹き込む創造性」という師匠の言葉になるほどと。例えばリツレが本曲の手の転用だと難じてそれを排することは比較的簡単にできるが、閉じた宇宙、つまり型を外せば自由にはなるが別の宇宙に飛んでいってしまうかもしれない古典においては、型を守りつつ、その型をどう吹くかによって意志表明を行うほうが、同じ古典の住人トモガラに伝わるのかもしれない。きっと私は今また、師匠に噛んで含めての世話を焼かせている。一周回って振り出しに戻る。その周回もまた愉しいが。
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HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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