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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

技と枝は似ている

私が高校まで部活で励んでいた卓球を、四半世紀ぶりに再開したのは6年前。たまたまテレビでやっていた全日本選手権・男子シングルス決勝での水谷隼-吉村真晴戦を見たのがきっかけだった。ちなみに、この2012年は、女子シングルスでは福原愛が悲願の初優勝を果たした年。当時、愛ちゃん・カスミンのアイドルふたりを擁する女子卓球は世間一般にもそれなりの知名度を得ていたが、男子は大いなる中国の壁の前に立つことさえなかなかできず、プレイヤー以外のヨノナカ(私を含む)からはほぼ黙殺されていた。昨今、水谷・吉村・張本らをテレビでしょっちゅう観るようになって、隔世の感とはこれのことかと。

さておき。大学以降はたまの温泉卓球で素人を叩きのめして悦に入るのがせいぜい。世の卓球がどのように変転しているのかなどまるで知らず、たしか水谷ってのがエライ強くて何連覇もしてるんだったよな、くらいの予備知識で見始めたのだったが。

魔法を見ているようだった。昭和の卓球とは全くの別物。二人ともバックハンドを当たり前のようにブンブン振っているし、特に吉村のチキータなんて技に至っては、ほとんど理解さえできない。台上の下回転ボールに対しては、ツッツキかストップ、フォアに限りやや浮いていればフリック(角度打ち)も可、までが私の常識だったのだ。それを、手首と肘を小さなムチのように使ってドライブに仕立ててしまう。なんなら、フォア前の球を回り込んでバックでチキータしているではないか。昭和卓球において、回り込みとは「バックに来た球を回り込んでフォアで打つ」という意味しか持たなかった。その逆=非常識をフツーにやっているということだ。

白黒させていた目が落ち着いてくると、両者とも恐ろしいスピードながら、水谷はどうやら両ハンドを使いつつもフォア多用、中後陣を得意とするヨーロピアンスタイルの発展形を体現しており、吉村はやや前陣寄りの、ライジング的な打点とキツいコース取りで相手の時間を奪い、かつ、より攻撃的なバックハンドを重視する戦型で渡り合っていることが見えてくる。水谷の戦い方は、私もかろうじて「こんな卓球もあるらしい」と知っていたものだが、吉村のそれは完全に未知のスタイルだった。そして王者・水谷は、当時まだ17歳だった吉村の戦い方を知悉しておらず、何をしてくるか分からない恐怖に萎縮し、10-7のマッチポイント(9割方そのまま勝つ点差)を握りながら大逆転で敗れた。ベンチに戻るや頭を抱えたまま動かず、ラケットを取り落とす姿は非常に印象的だった。つまるところ、私が知識としてしか知らない程度の「昭和終盤における最先端卓球」の系譜が、見たことも聞いたこともない21世紀卓球にイテコマサレタのだ。これが面白くなくて何とする。

よし、あのチキータをモノにしてやろう。さすればこの中年も、四半世紀のブランクを一気に跳躍して現代卓球を謳歌することができるやもしれぬと、その月のうちに卓球教室の門を叩いたのぼせやすいオノレが哀れ。そもそも、年配の生徒さんたちと15分打っただけで立ち上がることもできなくなるほど体力が衰えていることを、すぐさま思い知らされることになるのに。

その後、ようよう1年ほどでチキータの「打ち方」は覚えた(体力もだいぶ戻った)。球出しマシンの出す下系サーブを、そこそこの回転とスピードでキュンと引っかけられるようになったし、なんなら試合でも、いいところに来た球ならチキれるように。しかし、そこまできてやっと私は「チキータだけできる」ことの無意味さを知る。

相手の短いサーブをバックハンドでドライブにして相手バックへ返す。それは、チキータにビビってミスしてくれるような初心者を除けば、ラリーの始まり・きっかけでしかない。そこから始まるラリーは当然、多くの場合バッククロスのやりとりから展開していくことになり、バックハンドが強力である(21世紀的強さ)か、もしくはすぐさま回り込んでフォアドライブを仕掛けるに足る神速のフットワークを備えている(昭和的強さ)か、いずれかのポテンシャルを持っていなければ得点には結びつかない。私は、もともとそのどちらも持っていない。

チキータ興隆の一部始終を見てきた人にはアッタリマエのコンコンチキだろうが、平成以降の卓球を一切知らず、和気あいあいの教室とマシン練習のみで21世紀に追いつこうとしていた哀しきオッサンは、バックラリーでさんざん失点を重ね、負け続けてようやくこの真理に到達した。チキータは決して必殺技ではなく、チキータからの展開を有利に運び得る総合的な実力こそが必殺の武器なのだ。それって、強いヤツは強いと言ってるのと同じことじゃないの。えー、おあとが。


K-5Ⅱs

今回は竹のハナシをしないのかというと、そういうわけでもなく。技は、根がなければ虚しいものだ。というより、すべての技は根の一部に過ぎない。あの人のムラ息、カッコいい! あのツレ、真似したい! そう思うのはヨシ。しかし、その憧れの技を為すためにどれだけの根が必要か、そして根とは何か、技の習得に励みつつ、じっくり考えるに如くはない。そうでないと、30年近くやってきて今さら「アタリの指が上がってない」「手孔に指がかぶって音が曇ってる」と叱られるような仕儀になる。卓球、尺八、道中。
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

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