昨日は朝から大いに肝を冷やした。縦揺れの鋭さから震源がそう遠くないことは知れたが、モノを考えられたのはそこまで。揺れが止むまでその場で動けず、傍らのコーヒーがこぼれないようカップを掴んでいるのがせいぜいだった。火を消す、ドアや窓を開ける、無理無理。
東京で長すぎる学生生活を送っていたときに阪神淡路大震災が起き、西に戻って5年後に東日本大震災が起きた、ので、私は大地震を震源近くで経験していない。昨日のたかだか震度4(左京区)、あの短時間の揺れが人生最強だ。それでも、怖かったなァ。
ナマズが暴れて、家が壊れて、また建てて、また壊れて。有史以来繰り返していれば、石積みではなく木と土で、軽くてしなる、かつ建て直すにしても苦労の少ない家を造りたくもなる。ものを放っておけば湿気と虫でダメになり、大事に仕舞っておいても地震で(下手をすれば人もろとも)おじゃんに。暑さと雨と森が人の暮らしを規定してきた南方と同様、アジアにおいて古いものを残すというのは本来大いに努力の要る仕事なのだろうと思う。そして、その難関を経て残されたものには、数なり思いなり貴さなり運なり、残っただけの理由がある。
大きな被害を蒙った人も多くおられるなか、ヨシナシゴト。
K-5Ⅱs