明日は、いや、もう今日か、下鴨音楽祭。
12月17日(土)
会場は下鴨エリアの6カ所(タイムテーブルは
HP参照)
清水・河宮組の出演は月光堂楽器店にて、12:30前後より約30分間
全イベント入場・観覧無料
楽しみだ。現場のピアノのピッチが尺八と大きく違いませんように…。
K-01 このカメラの色ってハッキリ面白かった。もっかい使ってみるか…。
さて、動画への赤ペン指導を寄せてくださった師匠から、前項を記事として読んだうえでの続編が届いた。機関銃か…。たしかに。私の三曲吹きの課題は、いい意味で「抜く」ことなのだろう。では以下。
第一印象で書いてはみたものの、再度聴いてみれば、難なく聴こえて、飛び移った残月さえもチカラのコモル。
「過去はいっだって天晴れ!」なんて言葉も浮かんで。
で、楫枕再聴。
★三絃と手がピタリと合うを良しとすれば、竹が微妙に遅れることが多い。
これは、作品を練り上げる時間、三者の志気、下合わせの回数等々に係ることながら、悪条件でもキメル、竹の気合い。さて。
この点、某師は、本末転倒ながら、糸方をねじ伏せてましたね。
レイ属させて。
★それと、手事など、速いところ。
チリロツレヒチレツレチツレーツロ
と、仮にあった場合、記譜は、一本線か二本線で書く訳ですが、実際は、付点音符的に、吹く、或いは、三絃もそのようにならなければならないところ、つまり、
チーリローツレーヒチーレ
と、ハズンダ感じだったものが、楽譜を頼りに曲を作ると、同じ粒を機関銃のように並べてしまうことになる間違い?を起こす。
このことは、楫枕の手事に弾んだ感じ、もっと立体感、遊びがないな。
で、感じ思い出したこと。
耳から耳への伝承時代には起こり得なかったことでしょう。
楽譜を頼りに音を起こすと機関銃になりやすい。
私が何を言いたいのかは、楫枕の古い音源、名手の三弦の、特に手事を聴いてみてください。
この点で言えば、楽譜にチレツとあって、そのまま、吹いている箇所がありますが、チーレツとハズムのが本来の手の所もあります。
この場合、チとツの位置は同じですが、経過音?のレの位置は意外に自由ながら、弾んだ方が良い場合が多いです。
この楽譜には書き得ないハズミ感、付点音符的リズム感は、名人、或いは、古い名人の音源が頼りです。
逆に言えば、手事の、二本線が長く続く尺八符は、特に注意が必要です。
まあ、一本線も同じ。
このことは、単にリズムだけの問題ではなく、そのフレーズのウタイカタ、アクセント、強弱等々全て含めた視点からの展望が肝要です。
チゝゝゝレーツとあれば、アクセントの位置は、アタマのチとレ、ツ。とか。
例えは、変ですが、昨今のロボット音読機の、音読を聴いて、アクセントの位置や、イントネーションがおかしい。
そんなことが、古典音楽に起こっていると言ってもいいでしょうね。
言葉が時代とともに変容するように、音楽も変わって当然、の立ち位置もあります。
さても、その曲の作曲者が明らかな曲であれば、その原曲?のココロを現代にクッキリと演出したい、それこそが古典の醍醐味でしょう。時代のアカやクセを払い落し、江戸の音楽を現出させる。作曲者をその場に立たせる。
モーツァルトに今の演奏を聴かせたら、感嘆するでしょうが、
黒澤琴古に今の鹿の遠音を聴かせたら、腰を抜かすでしょうね。何の曲ですか?
菊岡、八重崎が楫枕を聴いたら、さて?
長々と書きましたが、そろそろ、今日のボンちゃんで〆ます。
師匠撮影