直近の演奏、その録音を師匠にお送りしたところ、久しぶりに、ここに引用しても “大丈夫” なメタファーをいただいた。相変わらず音源をお送りしての進研ゼミは続いているが、私は同じことばかりで叱られているし、師匠は活字にしづらい、よその誰ぞに聞かれては障ることをおっしゃるし(私も言うし)で、転載に程のよい赤ペンは、特に近頃はなかなか到来しなかったのである。呵々。
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課題は、前唄、音数が少ない分、密度が薄い。
そこを如何に歌うか。1音の中で歌を節を唄と手に絡んで
微分的に濃密に歌い仕立てるか。
長い一音と次の音。
今一番感じるのは、長い1音がキッチリ収まり、次の音が始まる。
この繰り返し。
長い一音の後半か半拍子、4半拍子に、次の音に繋がる繋げる
「節」或いは「間」、或いは次の音の位置(拍子)を示す
何らかの強弱変化、表現、歌い方。
この点は、前唄の後、流れに乗り鎮めるところは、キッチリと
竹が間を支配?或いは、糸が安心して撥を落とせる位置を
明確に示す吹きぶりになってきています。
要はその竹の役割を曲のアタマ(前唄)でも表出して
欲しいということです。難題でしょうが考究下さい。
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私自身、録音を聴き直して、特に前弾で竹の間が抜けているなァと情けなく思っていた。私が気づいていないことを数々指摘してくださる師匠であれば、私が自覚できる瑕疵を聴き逃すわけもない。
地歌三曲合奏は、前歌こそが難しい。前歌は、始まりに近いほど難しい。つまり、どアタマこそが地歌三曲合奏の急所なのだ。理由は言うまでもなく、拍をとるのが困難なほどゆっくりであるにもかかわらず間の「手がかり」が少ない、どアタマに近づくほどゼロに近いからだ。このことを、竹吹きの何割ほどが理解しているだろうか。
とまれ、それを踏まえたうえで師匠の指摘にあたれば、「長い1音がキッチリ収まり、次の音が始まる」は「間違いではないが、あんまり面白くないね」あるいは「もっといい味つけの余地があるんじゃない?」ということだろう。地歌の始まりの大きな間は、四角四面の微分計算機ではじき出した間に笹の葉吹きを嵌め込んだだけでは味が薄いと。
このあたり、ダントツの天才はやはり山口五郎先生。スリ引きと押し(押し送りではなく、音を「押す」のほう)、ユリで、次の音が楽しみになるような “次回予告” を一音の裡に演出してくれる。うっかりアレを真似たくなってしまうが、門下でもない私がそれをやってはつまらぬ剽窃。新しい塩コショウを探そう。
LX100
SRなき今(タイでは超高価な新車として生き延びているらしいが)、ヤマハもメグロK3のような空冷クラシック路線を出すならそろそろラストチャンスのはず。モチーフはXS-1でもXT500でもいい。ボルトのエンジンありきで適当なレトロイメージをでっち上げてもいい(SCR950はスクランブラーという打ち出しキャラと実機との齟齬が大きすぎる)。メグロほどはじじむさくない、あとひと花を是非。カッコよければ買う。いや、買いたい。イマドキのワカモノもきっと、そういうバイクを待っている。
あ、そろそろバイクを降りて(バイクから放り出されて軽バンに体当たりして救急車で運ばれて)20年だ。膝の人工骨、よく保っている。できれば棺桶に突っ込む足を上げるときまで世話になりたい。
更新がマメじゃないかと。エエご賢察の通り、書きものからの逃避ですとも。