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いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

こころみるこころ

手孔を押さえるのは指。指の先。それは無論のこととして、では、爪のすぐ先から始まる、言葉通りの指の先端から、いわゆる指の腹の下端までの間、その「どこ」で押さえるかというのは、少なくとも運指上、これより大事なことはないくらいの勘所だろう。

という毎度の今さらに気づいたのは、ほんの10日ほど前。その日、気まぐれで「どこ」を少しばかり指の先端方向にズラしてみた。いや、全くの気まぐれではなく。何年か前の稽古で、「もうちょっと指の先の方で押さえた方がいいんじゃないのかな」と師匠に言われて、ひとまずその場では試してみたものの、おそらく私はその頃、まだ手にして間もなかった田中忠輔さん製管の最新ライン、即ち滋章管の巨大な手孔(直径12mm)に慣れておらず、我が細指で塞ぎきることに常に不安をおぼえている時期であったこともあり、今よりなお細い指の先の方で押さえよというのは怖すぎて実行不能であったがゆえに、師匠に断りもしないまますぐ元通りの押さえ方に戻してしまったのに違いない。しかし、「指の先の方」というコトノハは頭の片隅に残っていて、孔の大きさに慣れた今、たまさか脳の表面(?)に浮かび上がってきた、という次第であったか。

まァそんな経緯で、指の塞ぎポイントを指先の方へズラしてみた。その距離、ざっと1.5~2mm。すると何が起こったか。とタメるまでもなく誰もが予想できることだろうが、アタリ・押し送りのキレ・明瞭度がにわかに上がったのだ。そして、それらの「スポン!」の音に立体感が増した。のみならず、手事における「レレレレレ」のような、竹吹きが概ね苦手とする同音速吹きの速度が上がり、のみならず、スリ上げコントロールの繊細度までが向上し、のみならず、ツメ・レメ・ヒメといった下げにくいメリ音が下げやすく…。おいおい、今の今までこのご利益を享受せずに30年余り吹いてきたってことか。めまいがする。といっても、こうしたビフォーアフターが聴く人に必ず伝わるかというと微妙なところではあるが。

例によって言いたいことは、「指の先の方で手孔を押さえた方がいい」では断じてない(人にもよるだろうし)。そうではなく、よりよく吹くためには、常に、あらゆる現状打破の選択肢を模索していないと、前進のきっかけをとらまえ損ねる。そして、とらまえ損ねたアフターの存在は逃がした者には感知できないし、逃がしたアフターが積み重なれば、しくじった者は逃がさなかったオノレと比べれば必ずやヘタに育つ、ということだ。此度とて、「指の先の方」を思い出すのがもし10日前でなかったら、次のタイミングは何年後であったか分かったものではない。「備えよ常に」が稽古にあたるとすれば、「試せよ常に」は稽古で得た玉を磨くために不可欠な姿勢と云えるだろうか。磨けて初めて、そこそこツルツルになったと思っていた玉は、まだまだもっと光るんだと分かる。

そう、この10日の間には本番もあった。そこで上記のアフターを試そうとはしてみたのだが、当然ながら付け焼き刃は効かず、曲が進むほどにまたぞろ “大穴への不安” を打ち消すことが難しくなり、いつしか木阿弥へと戻ってしまっていた。慣れない場で何かを試しても、効果が現れているのかどうかを判断するのはなかなかに難しいし、試行自体がうまくいかないことも多い。「見つけた」から「身につけた」へ。一音違いながら、これには時間がかかる。次はどんなことを試してみようか。

そう、そしてこの10日の間にも、指の少し先の方で「どう」押さえるかについての試行錯誤を経て、少しずつ匍匐前進は続行している。やはり他人にはまず伝わらない、フィーリングレベルの違いで音に歴然たる差が出るのだから面白い。個人の感想ですが。

LX100 半年前はハヤリヤマイでエラい目に遭い、何もできなかった。もっかい行くか…。

長らく大凶作が続いてきた呼出。NHKも電波にのせるのはキケンとばかり、だいぶ前から呼び上げが始まるや速やかに音量レベルを下げてしまうようなありさま(それでも、千秋楽の「これより三役」だけは場面的に流さざるを得ない。イヤだろうなァ)だが、とうとう、素人が「紅」でも歌っているのかのような凄まじい金切り声のダレぞが幕内あたりで仕事を始めたような。怖くてまだ正体をつきとめていないが。蓋し、大相撲協会は音楽監督を迎えて音感レッスンを導入し、まともに呼び上げられない者は昇進できないようにすべきだ。私と同じ名(読みは違う)の大オ○チ氏は数年前にちょっとかわいそうな暴力沙汰でいなくなったが、そのあとも耳を塞ぎたくなる状況が続いているし、さらなる師弟ジャイアン連鎖が恐ろしい。なんとかなれ!
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河宮拓郎(カワミヤタクオ)
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