せっかく無いアタマをひねってヒイコラ書いたので、当日お越しいただいたお客さま以外にも、もうあとひとりふたりくらいにはご一読いただこうと。史実はもちろん孫引き曾孫引き。また、つまるところ「風の色」とは何を指すのか、その定義は今のところあえてボヤッとさせておくことにして。
撮影/岡森大輔
終演後、来てくれた小2の甥っ子に「吹いてる顔がおかしい」と10回くらい言われる。うむ、オッチャンも我ながらそう思うが、涼しい顔をして吹くにはまだまだ修業が足りんのよ。精進します。
写真を撮影してくださったのは、先の塩崎さんと同様、現場でお世話になっているカメラマン・岡森大輔さん。あの会場のアンバーで埃っぽい空気がきれいに濾過されたような、この透明感。しかし、写っているのは冷や汗と冷や脂でテラテラ、かつ変顔のオッチャンである。
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ごあいさつ
本日は残暑厳しき折、またご多用のところ、「尺八・風の色 ~琴古流本曲の機微~」にお運びくださいまして、誠にありがとうございます。
本会は、副題に示すとおり、古典尺八楽のいちジャンルである「琴古流本曲」を集めた演奏会です。河宮が発案し、つとに関西でご活躍のジェシー逅盟さん(竹盟社)、同じく小林鈴純さん(鈴慕会)のご理解を得て、共演いただくこととなりました。
琴古流本曲とは何か、というご説明はあとに譲るとして、尺八の生演奏に接したことがない方や、本曲は初めてという皆さまは、まずは竹の音色、響き、そして、本曲の世界観に耳を傾けてくださいませ。また、斯道に携わる方、邦楽に造詣の深い皆さまには、ご高聴の傍ら、私どもの本曲が先達からどのように伝えられたかを観じ、また我々がそれをどの程度咀嚼し、己のものとなしているかを検分いただければ幸甚です。
そして、琴古流本曲の楽想とともに、我々がすべての方にお聴きいただきたいと考えておりますのは、同じ琴古流に属しながらも会派や師を違える三人の、音色や吹きぶり、技法の違い、すなわち「風の色」がどのように異なるかです。私どもの芸筋は、三、四代、せいぜい百年と少々さかのぼれば同じ師に行き着くのですが、三人の風の色を聴き比べたとき、皆さまは「同じ流派だけあって似たようなものじゃないか」とお思いになるでしょうか、それとも「同じ流派なのになぜこんなに違うんだ」と驚かれるでしょうか。
「same same but different」という言い回しを、私はごく最近知ったのですが、タイなどアジアの人々の大らかさ(テキトーさ)をユーモラスに皮肉る表現であるようです。この言葉、ちょっとニュアンスは異なりますが、本会の核心に近いところをついているように思えます。「おんなじだよ、おんなじ、違うけどね」。その「おんなじ」を琴古流共通の土台として修める一方、我々は「違うけどね」にも等しく心血を注ぎ、またそこに琴古流尺八の面白さを見いだすのです。
つい長くなってしまいました。ごたくはあと、音が先です。山鳥の尾の解説は、お帰りになってから暇つぶしがてらにお読みいただければ重畳。まずは、どうか終演までご静聴いただけますよう、平にお願い申し上げます。
「尺八・風の色」
河宮拓郎
「琴古流」について
まず、琴古流本曲とは何か、についてごくごく簡単に述べるならば…。
●琴古流において吹奏・伝承される尺八の古典本曲群である。
●琴古流は、初代黒沢琴古(1710~1771)を流祖に持つ尺八のいち流派である。
●初代黒沢琴古は筑前藩士から浪人して虚無僧(禅宗の一派・普化宗の宗徒)となり、江戸で尺八の指南役を務めたほか、諸寺に伝わる尺八楽=本曲を収集し、整理・編集した。これら、琴古の手を経た本曲群を後に琴古流三十六曲と呼び、また琴古流本曲と呼ぶ。
●本曲とは、日本音楽において(尺八に限らず)その楽器のために作曲され、その楽器だけで演奏される楽曲を指す。尺八はしばしば地歌(三絃のための歌曲)・箏曲などを三絃・箏と合奏するが、この場合、地歌・箏曲は尺八から見て、本曲に対しての「外曲」とされる。
…と、このあたりにしておきます。このまま掘り下げていくと、すぐさま「尺八とは何か」という大きな問いに行き当たり、日本ばかりか世界音楽史を見渡しての長大な講釈が必要になりますが、研究者ならぬ私には不可能な芸当です。
また、上記箇条書きにおける史実のうち、とくに普化宗については、昭和以前における独立した宗派としての存在自体を疑問視する立場の方さえおられます(もちろん、後の虚無僧にあたる放浪の托鉢僧ははるか徒然草の昔から存在したのですが)。ここでは普化宗の歴史に言及したいわけではなく、上記はあくまで尺八の世界において語られるいち通説、アウトラインとご理解ください。
ひとまず、江戸中期の初代黒沢琴古が収集した尺八楽を、琴古がおおもとを定めたスタイルに則って吹奏するのが琴古流本曲です。ただし、例えば現在の我々三人が、江戸の昔の黒沢琴古と同じ吹きようを行っているかというと、これは三人が三人とも、琴古とは別物と言っていいほどの大違いであるはずです。その理由は以下に。
※なお、私では扱いきれない「尺八とは何か」について、上で云う “アウトライン” をおそろしくコンパクトにまとめた山川直治先生の名解説がネット上にあります。コンパクトゆえ情報が凝縮されていて平易簡明とはいきませんが、「尺八楽はおもしろい」で検索すると出てきますので、尺八の歴史にご興味をお持ちの方はぜひご参照ください。
琴古流における会派
初代黒沢琴古に始まった琴古流は、次代で早くも枝分かれします。高弟の宮地一閑(生没年不詳)が「一閑流」の幟を掲げて大いに栄え、おのずとこれに対抗せざるを得ない二代琴古(1747~1811)をはじめとする初代琴古の弟子は、ここでようやく「琴古流」の看板を構えたようです。この分派状態は数代続き、またその間に黒沢琴古直系の名代は四代で途絶えてしまいますが、琴古流は三代琴古の高弟・久松風陽(1791?~1871?)らに継がれ、初代荒木古童(生年不詳~1850)の頃にどうやら一閑流と再統合され、メデタシ。
と思いきや、二代荒木古童(竹翁、1823~1908)の弟子であった初代川瀬順輔(1870~1959)が独立して竹友社を興し、後出の山口四郎・初代青木鈴慕ら演奏に優れた高弟を数々輩出。その高弟たちも次々と独立したため、荒木派を含め、大げさに言えば琴古流百家争鳴の状況が出来しました。
この背景には、レコードで、或いは演奏会場で、つまりそれまでの寺や座敷といった「和の空間での生演奏」以外の場で、広く一般人に尺八が聴かれるようになっていったという状況の変化が深く関わっているだろうと思われます。また1871(明治4)年の、太政官布告による普化宗の廃止も力学的に多大な影響をもたらしたはずです。このような流れの中、かつて虚無僧のみが吹奏する宗教音楽であった琴古流本曲は、その宗教性を「禅味」という程度に薄れさせ、純音楽に近づいていく。そのとき演奏家に必要とされたのは、たとえば万人の心を捉える比較的こんにち的な音楽性やテクニック、ホールに行き渡る豊かな音量、深い音色であったでしょう。
そして、音楽家としての尺八演奏家たちは、かつて初代琴古が諸寺の本曲をそうしたように、師から伝えられた曲を微妙に編集していきます。それらは具体的には、装飾音やフレーズなどの運指の変更、入手(いれて)と呼ばれる旋律の追加(ないしは省略)、音拍の強弱の変更などさまざまなかたちをとり、弟子たちを含め一派独自の美意識をもって本曲を演奏するようになります。これが私の云う「風の色」です。
そう、変わっていくのが琴古流の大いなる美点であり、また泣きどころでもある。これは、初代琴古が諸寺の本曲を「編集」した時点で当流に内包された宿命的な性状でありましょう。一言一句を違えずひたすらに伝承するのではなく、(一流の技量を前提として)解釈の幅を許し、個性を許すのが琴古流であると私は考えます。であれば、初代琴古と、300年後の末裔たる本会の三人とが同じ吹きようであるはずもなく。しかし、変わり続ける一派としての琴古流に、やはり我々は属しているということになります。
風の色の面白さ
本日の出演者のこととして、ジェシー逅盟さんは前述の山口四郎(1885~1963)に始まる竹盟社の、小林鈴純さんは同じく初代青木鈴慕(1890~1955)に始まる鈴慕会の流れを汲みます。両社中はそれぞれ故・山口五郎、二代青木鈴慕という今もってカリスマと仰がれる稀代の演奏家によって大いに隆盛を誇り、ほか近年の琴古流にあっては、我が師・久我敦彦がかつて籍を置いた竹友社の三世川瀬順輔や、故・横山勝也、三橋貴風、二世荒木竹翁などなど、それぞれ独自の会派・社中を構える綺羅星の如きスター演奏家が、特に昭和後半以降において続々と脚光を浴び、各々の風の色を競っておられます。
今のところ商売とはほぼ関係のないところで尺八を吹く私からすれば、この「琴古流の多様性」を並べて広げて伝えずにおくのはいかにももったいない。また、江戸の昔の初代琴古以来、主に関東以北へ版図を広げた琴古流は、関西ではいまだに認知度が低く、まして琴古流本曲のみの演奏会が開かれる機会はそう滅多にありません。神戸に生まれ、東京で琴古流を学び、京都に住んで十余年、そうした状況に鬱勃たる思いを持ち続けていたのですが、独力ではいかんとも…と思っていたところへ、幸いにも小林鈴純さん、ジェシー逅盟さんの順で知己を得るところとなり、本会を立ち上げるに至ったといういきさつです。
なお、尺八の世界には、琴古流のほかに、初世中尾都山(1876~1956)が大阪に興し、現在では京都に本部を置く都山流(現在では数派に分派するも、特に関西においては琴古流を大きくしのぐ勢力を誇る)、また横山勝也の師である海童道祖(1911~1992)の手になる本曲「道曲」を吹き継ぐ方々、そして、琴古が収集した古典本曲のおおもとを全国各寺に吹き継ぐ方々(京都で云うと、明暗寺所伝曲を継ぐ明暗導主会)など、さまざまの流派・会派があります。また当節、流派や社中、ジャンルに縛られず、いち演奏家として身を立てる尺八アーティストも多く存在することは、たとえば昨今大流行りの「和楽器バンド」などを見ればお分かりになることと思います。本会を契機に、広く尺八界全体の風の色を味わい分けていただけるようになれば、これにまさる喜びはありません。
付け加えるならば、この風の色は、生演奏、それもマイクを通さない生音で聴き分けるのがいちばんです。尺八の音をもっと知りたい、と思われたならば、動画を探すのではなく、CDを買うよりも先に、まずは演奏の場に足をお運びくださいませ。
ほんとうは、この風の色がさまでの多様性を持つに至ったもう一つの要因として、江戸期以来、とりわけ大正・昭和以降の「楽器の変化」にも触れたいところですが、なにぶん概説にさえ多くの紙幅を要することがらであり、また文章で長々とご説明するよりは、百聞不如一聴、これをテーマにまた別の会を持っても面白いと考えますので、ここでは割愛させていただきます。「ユリ(ビブラート)」や「アタリ(出だしの音の装飾技法)」も、それぞれ琴古流尺八の風の色に大きな影響を及ぼす要素ですが、これまた解説は別の機会に。本会では、ジェシー逅盟さん、小林鈴純さん、そして私の三人が「same same but different」である、そのsameぶりとdifferentぶりをお楽しみください。
最後に、遠く房総は九十九里にお住まいで、本日のめくりを揮毫いただいた師・久我敦彦との日頃たびたびの往復メールにおいて頂戴した一文を(琴古流らしく多少の編集・省略をもって)引用させていただき、稿の結びといたします。長のごたく、ご容赦を。また僭越ながら先達・他派への言及もあり、事実誤認など瑕疵がありましたらどうかご指摘くださいませ。
加藤唐九郎、かの陶芸家。兎に角彼の作品は一目見て引き込まれる。誰が見ても茶碗の体裁で万人の茶碗の典型を全く逸脱していない。されどその色形には正に抜群の、不思議な力と魅力が溢れている。同じ狙いの器を100個作って99個叩き割る厳しさを湛えている。琴古流は、尺八は、の答は、こんな事に思える。
陶芸の知人が、焼物はパクリしかない、と。されど、使い古されたと見える形の中に、圧倒的共感を得るものを創り出す、そこを目指す。琴古は多くの人に共感を得るだけの器量、ジンブツだったに違いない。
究極、アートは人間のあそびの行き着くところ。皆々行き倒れるものとすれば、目指す運動あるのみ。初代(河宮注:初代川瀬順輔)が竹の神髄は「命」と。竹に限らず、アートは畢竟、命の息吹。美の享受者としてそんなことと実感する。
今あるものは、伝統は、累代が積み重ねてきたもの、腐っていようが、生きていようが、積み重ねられ、淘汰に勝ち残ったもの。たった一人の代で見たこともないものを作ったにしても次代に伝わる保証は無い。共感を思う時、累代が作り上げた型枠の威力は、一個人の突然変異の比ではなかろう。勿論、天才は突然変異そのものであろうが。
置いてあればただの竹。
命を吹き込む。
(文中敬称略)