大したこともしていない。益体もないことをつらつら思いながら吹くうちにひと月ばかり経ってしまった。
科学が芸術が、文明が発達したように見えて、いや、発達してきたのだろうけれど、総体としての人はさして高等な生きものに成れていない。そして、上等になれない人間にとって、ニュークリア・パワーこそは、パンドラの箱やら禁断の果実やら玉手箱やらイザナミの「見るな」やら、あらゆる「してはいけない」シリーズの煮凝りのような、最悪も最悪の呪法であったのだろうなと。
「もう懲りた。もう分かった。次に大戦争を始めたら世界は滅ぶかもしれない」が全地球的な前提である、という妙な “安心の空気” を吸って、50年ばかり生きてきた。しかし、私より20年近く終戦時に近い生まれで、大戦のより濃い、血生臭く危うい残り香を嗅いできたはずの専制高齢者が、またぞろ戦争を始めてしまった。結果的に、その大前提を共有せず、最終戦争をさえ引き起こしかねない人間でも大国のトップに就くことができていたというサンプル、あるいは就いたあとにおかしくなったのだとしたら、変調をきたした独裁者を引きずり下ろすのは至難であるというサンプルが、ここに「また」作られてしまったことになる。
仮に彼奴が巷間噂されるように静かに発狂している、もしくは恍惚の世界に住んでいるのだとしても、あやつが最悪のボタンに手をのばすのを誰も止められない。人間はその程度のシステムをしか持てなかったし、ひとつの街か、国か、世界かが終わるような破壊を引き起こすエネルギーの暴発を、科学や倫理の力はやはり止められない。不完全であることは人間の大きな魅力だが、その人間に、一発でコミュニティを葬り地球を汚せるほどの道具を扱わせたら…シナリオは幾通りもあろうが、結果はいつか「このように」なるしかないということなのだろう。進むべき道を指し示す、素晴らしい政治家や思想家だっていくらもいるはずだが、強大な暴力を帯びた阿呆を即座に押し止めることは基本的に不可能であり、いやほんとうに、AIに地上のあらゆる統治と管理を任せるSF世界の方が実は…と近いうちに判断される日が来るだろうさ(のるかそるかは別として)。
AIが治める世界で尺八を吹くなんてのはシュールすぎてかえってオツなくらいだが、新世代がそれまで生きながらえることさえ容易ではなさそうなご時世だ。生きている間がずっと平和、なんてのはニンゲン、超レアケースなんだろう。
K-5Ⅱs
とまれ、私は竹を吹く。進みが遅いとあっちこっちから尻を叩かれているのだ。