忍者ブログ

いずこじ

陰陽、笹の葉、風の色。琴古流尺八、道中甲有り呂有り。

アトモドリはない

去る4月29日は京都三曲協会の定期演奏会。私の属する琴古流諸派では、不肖ワタクシが曲リーダーとなって、10名で雲井獅子を演奏した。八寸本手(6名)・八寸替手(2名)・二尺(2名)の3パートに分かれ、重奏→八寸本手ソロリレー→重奏と吹いたのだが、予想通り(?)ソロリレーは各人の吹きグセ、流派のトンマナが明瞭に顕れるところとなり、吹いていても非常に面白かった。のだが、曲リーダーとしての私の働きたるやヒドいもので、フリーランスになってはや15年、もともとリーダー役がなにより嫌いな私の協調性は、もうゼロに近いところまで低下してしまったと思い知らされる次第ではあった。ご心配、ご迷惑をおかけしましたみなさま、平に、平に。

雲井獅子を午前中に終えたのち、4時間待ってのトリ、島田塾の御代の祝にも出していただいたのだが、練習不足は隠しようもなく、大事な掛合でトチる体たらく。おそらく宮城曲の中ではごく吹きやすい部類であるはずのこの曲でこれは、マズいなあ。捲土重来。できれば地歌で。


iPhone 15 Pro
撮影は、またもはるばる九十九里から駆けつけてくださった我が師匠。弟子がコントラストなどわずかに調整。

で、つい先日は左京区岩倉の石座(いわくら)神社にて、能舞とのコラボ舞台撮影にて本曲を吹奏。これが、まず滅多とない体験であった。

舞手は観世流の津村禮次郎先生。重要無形文化財「能楽」保持者、すなわち人間国宝であられる。その津村先生が「翁」と「鬼」を表す舞を即興で舞う、その背景となる音楽を、私が本曲で担当するという内容だ。写真の通り、観客聴衆はいない。とある学術的ドキュメントの終幕に使われる映像だからだ。

作品名は「真人の世界Ⅱ 日本文化のカミ」。

「Ⅱ」から分かるとおり、第1作「真人の世界」は2022年に発表済み。制作は須田眞司さん。石英ガラス製品の開発製造を得意とする大興製作所の会長でありながら、常に「日本文化とは何か」を自らに問い続け、またその問いを学問・芸術など多様なジャンルの専門家に投げかけて、これに対する答えとしてのインタビューやパフォーマンスを映像作品にまとめることをライフワークとする稀有な教養人だ。日本文化の基層には縄文文化があると仮定し、では縄文の昔から今に至るまで「我々は一体全体何を信じてきたのか? 今は何を信じているのか?(中略)これは古くて新しい我々自身への問いかけでもあると考えます」と、本作の企画書で須田さんは述べている。

といっても、さまざまなシーンの集合体であるこの作品のうち、私が把握しているのはせいぜい、舞台での演奏シーンがどんな風に撮られたかということくらい。肝腎の津村先生の舞をさえ、瞑目して吹く癖ゆえにもったいなくもほぼ見ていないのだ。どんな人が、どんな談話やパフォーマンスで神を語り、それらがどう撮られ、どう編集されていくのだろうか。舞う神を囃すに私の竹ではナマグサが過ぎたのではと懸念しつつも、大いに楽しみだ。

それにしても、津村先生がパフォーマー・演者として漂わせる空気は(当たり前だが)凄みを帯びたものであった。装束を纏い、面を着けることで、能楽師は神にも鬼にも亡霊にもなる。なれなければならない。苛酷な変身を半世紀以上重ねてきた大巨匠の説得力は、能舞台ならぬ石座神社の神楽舞台にも満ち満ちて、私はその力、ボリューム感に圧されて萎縮しないよう全力で吹くことしかできなかった、というのがかの日の体たらくである。よし目を開けて吹いていたとしたら、舞に引き込まれてこちらの手をやり損ねる羽目になっていただろう。とまれ、作品完成の暁には各所で上映会などが開かれるはず。このブログでも、情報が入りしだい盛大に告知宣伝させていただきたく。

そうそう、千葉から尺八のみの目付役として “参観” に来てくださった師匠は、翌日には私に稽古をつけ、そこから黄檗・萬福寺をかすめて日付も変わらぬうちに帰葉されたのだった。竹にまつわらずとも「運動にアトモドリはない」を師匠は繰り返し教えてくださるが、例によって私は何度教わってもすぐ忘れて退歩しようとする。

あと、はや来月、6月9日(日)には、もはや我が恒例行事、くまもと全国邦楽コンクール本選に(懲りずに)挑む。今回の参加曲は、残月。素吹きの地歌で予選を通してもらえるものだろうかと応募前にはずいぶん逡巡したのだが、5分という制限時間の中で竹吹きの多面的な力量をはかるなら(はかってもらおうとするなら)、正直なところ起承転結をつけられないほど圧縮された琴古流本曲よりも地歌箏曲の素吹きダイジェストの方がその目的に「適っている」とは思う。琴古流を自認する者がコンクールで何を吹く「べき」か、となるとまた話は別だが。

いつぞや、コンクール後の懇親会で審査員のおひとりに「次回は本曲以外の選択肢も考えてみたら」と提案された。それはきっと「古典以外の選択肢も」と同義であったと理解はしているが、私は言外のニュアンスをあえて汲まず、本曲ではないが現代曲でもない残月をもって応答する。いろいろ惑った末の結論ながら、つまるところこうなるサダメなのだ。コンクールを含むくまもと大邦楽祭は入場無料。おちこち、もといお近くの方はぜひご来場・ご観戦を。

来年も出るなら、次はアノ曲だな。間違いなく七転八倒することになるが!
PR

コメント

プロフィール

HN:
河宮拓郎(カワミヤタクオ)
性別:
非公開

P R