月曜、京都三曲協会のオシゴトとして、10人くらいの小6キッズたちに
尺八をコーチしてきた。教えておいてナンだが、彼らの尺八への興味津々ぶりは私の想像を大きく超えていてとても嬉しかった。鳴らないからと飽きる様子など一切見せず、時間ギリギリまでワーキャー言いながら練習してくれたのだった。
もちろん、授業のひとコマ程度の時間で竹が吹ければ世話はないわけで、多くのお子たちは手孔全開の五のヒに近い音をヒヨ~と出すところまでがせいぜい。課題曲のチューリップにトライさせてあげたかったが時間が全く足りず(吹かせすぎて酸欠で倒れられても困るので)、弾けばひとまず音は出る箏のレッスンも並行して行ってくれていたのが有り難かった。どうしても音が出なかった生徒さんもいたが、なに、これを機にいつか竹を吹き始めてくれるなら、鳴らなかった初回の稽古など何ほどのものであるか。「次回(予定はないが)はここを目指しましょう」と、何度かド本気でチューリップを吹いて見せた。竹の音のいちイメージ、つかんでもらえただろうか。
それにしても、アゴや唇など、ひとの各パーツのカーブや造作は本当に千差万別なのだなあ。ふだん「この人の鼻より下は竹を吹くのに適した形状か」なんて観察の仕方はしないので、妙に感心したのだった。
LX100
そういや、お人づてに話が回ってきて、あるアメリカの若者を臨時コーチすることになった。臨時というのは、彼が4月いっぱいで帰国してしまうから(なんでそんなタイミングで尺八を習うことになるのかは知らない)。2カ月半教えて、あとは好きに育ってね、という超短期・無責任講習だが、まあ種を蒔くチャンスがあるだけ有り難いことだ。私がやるんだから、プチ修練だとしてもナンチャッテにはしない。少なくともウチに来るたびヒイヒイいってもらおう。エアリードではないが管楽器の経験はあるそうだし、小6キッズたちよりは酸欠に強かろう。
そうだ。私は先生と呼ばれるのが大の苦手、というよりはっきりとキライだから、「先生と3回呼んだら破門」と、まずは伝えなければ(我が家にも私にも門などもとより無いのだが)。世の先生がたのように、専門教科にとどまらず如何に生くべきかまでを教える資格や能力などまるで持ち合わせないばかりか、我が師をはじめ多くの先達から学びのただなかにある私が先生と呼ばわれるようになってはおしまいだ。そこで、コーチ。程のいい言葉ではないか。