年内の出演予定はぜんぶ書いたし、と安心したわけではないのだが、気がつけばそこからもう2カ月も。正直、かくも次から次へで舞台に上る日々がやってくるなどと予想したことはなかった。
大切なことは文字にできない、なんてのはだいぶ陳腐な言い回しだが、文字にできないのは「しているヒマがない」のも大きいだろうとは思う。9月からここまで、4つの演奏会で吹いて、自分の中で「舞台で吹く」ということについて毎回(毎会)何かしらの新たな知見発見を得てはいるのだが、それはひとつひとつが取り立てて文字にするほどのことではなかったりもするし、あえてヒトサマに言うべきではない、やや攻撃的な思うところも含まれる。だいたいが「私はこんなことを学んだ!」なんてことを声高らかに謳うなどは “お題目” の始まりであり、ヒトサマのうち百人にひとりが「お、あいつ、どうやら学んだようだな」と理解してくれることの方がよほど大切で難しい。
ものを言うのは口ではない。師匠のコトノハ。
でも、オープンにしておいた方がのちのちの面倒が減る、という事柄もあって。それは「今後、好きになれない曲は吹かない」と決意したことだ。
私の場合、「好きになれない曲」とは古典以外の多くの曲を指すのだが、現代曲や新曲のすべてを指すわけではない。要は、好きになれる要素がない/少ない曲は練習する気にならない(そもそも古典以外のジャンルについては基本をすら持ち合わせない)ので本番がヒドいことになり、頼んでくださった方々に大迷惑をかけることになるので、もうやりません、という当たり前を今さら述べているだけのこと。今後私が古典以外の曲を人前で吹いていたら「ああ、ヤツはあの曲が少なくとも嫌いではないのだな」と、また、私がもしあたら助演の依頼を袖にすることがあれば「ああ、ヤツにとっては好きになれそうにない曲だったか」と思いなしていただきたい。
つまり、大いに懲りるようなことがこの秋にあった、ということであって、ざっと20年分ほどの恥をかいた。今もって実に恥ずかしくいたたまれず、消したい過去やら黒歴史とはこれのことだワイと。そして、その恥をどうにかエネルギーに変換し、ずっと言いたかったが言えなかったことを吐き出すに至った次第。
あと20年吹ければ超御の字として、好きなにれない曲を練習する不幸な時間は少ないほどいいし、ゼロであるならば最高だ。その代わり、我が本領たる古典では引き続き、この世で最も花深き処を目指して精進します。適材適所で、みなさまより幸せになりましょう。
R8 pro ビエンチャンの凱旋門・パトゥーサイの華麗な天井。
数えてみたら、9月から年内に吹く曲は合計19曲あった。私のキャパシティに照らして明らかにムチャだったが、引きうけた以上は当然ちゃんと吹かねば(すでに果たせなかった曲はあるわけだが)。あと11曲を吹き終えればそこは年の瀬。来年は、後藤戦の後のミギーのように、ひとりでいろいろ考えてみる時間が必要だ。